5月6日(月)、東京国立博物館で開催中の『法然と極楽浄土』展に行きました。

会期は、6月9日(日)まで。


チラシには、

「鎌倉仏教の一大宗派・浄土宗の歴史を通覧する史上初の展覧会!」とあり、


「令和6年(2024)に浄土宗開宗850年を迎えることを機に、法然による浄土宗開宗から徳川将軍家の帰依によって大きく発展を遂げるまでを、全国の浄土宗ゆかりの名宝の数々を中心にご紹介します。困難な時代に分け隔てなく万人の救済を目指した法然と門弟たちの生き方や、大切に守り伝えられてきた文化財にふれていただく貴重な機会です。」

と。


で、チラシから基礎知識を。

「法然とは」

「法然(1133~1212)は阿弥陀仏がすべての人々を救うために立てた48の誓いのうち、念仏往生こそが重要であり、念仏により誰もが極楽往生できることを説いた名僧。浄土宗開祖。」

そして、

「浄土宗とは」

「阿弥陀仏を本尊とし、名号『南無阿弥陀』を称えることにより、極楽往生することを求める宗派。総本山は京都・知恩院。」



9時30分開館なので、その前に、博物館に到着。

すると、すでに列。

後ろにも、列。


開館前に、500人ほど。


まさか、並ぶとは思いませんでした。

並んだとしても、10人前後ではないか、と。


それは、奈良国立博物館の『空海』展があったからです。

20人ほどしか、並んでいなかったので。


平成館まで、走る人も。


出品目録には、数字として194まであるのですが、数字が飛んでいたり、会期中の展示替えがあり、そのうちの88点を見ることが出来ました。


第1章『法然とその時代』

No. 1は『往生要集』、青蓮院所蔵、平安時代 承安元年(1171)。重文。

歴史で習いました。

No. 3『恵心僧都源信像』、滋賀・聖衆来迎寺所蔵。南北朝時代。


で、法然上人は、

No. 15『法然上人坐像』、當麻寺奥院所蔵。鎌倉時代。重文。


No. 16が百萬遍知恩寺所蔵の『法然上人坐像』。No. 18が滋賀の新知恩院所蔵の『法然上人立像』。


No. 26が、『法然上人絵伝』。鎌倉時代。知恩院所蔵。国宝です。

ただ、48巻のうち4巻。しかも、展示替えで、見ることの出来たのは、巻六と巻十四。

No. 27が、同じく『法然上人絵』で、こちらは、室町時代。當麻寺奥院所蔵。重文。48 巻のうち、やはり、4巻。この日見ることの出来たのは、巻十八と、十九。


他にも、法然上人の絵伝やら、往生図やら、涅槃図が。


京都の光明寺から、No. 63『二河白道図』。鎌倉時代。重文。


鎌倉の光明寺から、No. 72『浄土五祖絵 善導巻』。南北朝時代。重文。


第2章が、『阿弥陀仏の世界』


『阿弥陀如来立像』、『阿弥陀如来坐像』などが並び。


知恩院の、『阿弥陀二十五菩薩来迎図』が、修理後の初公開。

No. 88。国宝です。

ただ、展示期間が、4月16日(火)から5月12日(日)まで。


なんという急角度。天上からまっしぐら。

そのスピード感。

一気に、お迎えがやって来て。


第3章『法然の弟子たちと法脈』

No. 112が、當麻寺の『綴織當麻曼陀羅』。国宝です。

展示期間が、この日、5月6日まで。なので、間に合うようにと、この日。


縦横4メートル。

「蓮糸で織られた伝説をもつ究極の極楽浄土図」


「浄土信仰の聖地である當麻寺に伝来した『綴織當麻曼陀羅』は、鎌倉時代に法然の弟子証空によって絶大な信仰を集め、多くの写しがつくられました。本展は秘仏の本尊に対面できるまたとない機会です。」


この日、當麻寺奥院の副住職である川中教正さんの、『絵解き』があり、聴講しました。

チラシに、「東京初公開」とありますが、奈良を出るのもはじめてだと。


楽しく、奥深い話を聴きました。


中将姫の物語。

今では、その物語も忘れられて?

先日の引っ越しで、當麻寺で購入した『中将姫物語』も、業者に引き取ってもらい。

で、今回のことがあり、もう一度、読み直したくなったのですが。


中将湯の話、津村順天堂の話など、楽しく。


ただ、本体は、『時代のベール』に覆われていて、どこに何が描かれているのか、よくわからないのです。


で、この国宝の『曼陀羅』の展示替えとして、同じく當麻寺の、『當麻曼陀羅図(貞享本)』が登場します。

江戸時代、貞享3年(1686)。青木良慶・宗慶筆。

重文。


鎌倉の光明寺から、No. 118『当麻曼陀羅縁起絵巻』。国宝。鎌倉時代の作です。


No. 119が、當麻寺所蔵の、『當麻曼陀羅縁起絵』。鎌倉時代。重文。


証空上人は、

No. 124『証空上人思惟像』。永観堂禅林寺所蔵。室町時代の作。


No. 128『証空上人絵伝(善恵上人絵)』、兵庫・浄橋寺所蔵。室町時代、貞禄4年(1531)。


第4章『江戸時代の浄土宗』

No. 172『浄土宗諸法度 元和元年七月日』。知恩院。

浄土宗として、守らなくてはならない、法。


武家諸法度とか、公家諸法度とか。


東京の増上寺から、

No. 175『大藏経(宗版)』。

No. 176『大藏経(元版)』。

No. 177『大藏経(高麗版)』。

インドからもたらされた仏典は、中国で、中国語に翻訳され。

その中国語に翻訳されたものが、日本に。


この宗版、元版、高麗版の三つが揃うのは、きわめて珍しい、と。


それにしても、中国語で、日本にもたらされた仏典が、なぜ、日本語に訳されなかったのっしょうか。

そのため、現在に至っても、お経を聴いても、『ちんぷんかんぷん』。


この『ちんぷんかんぷん』が何か、それは別の機会に。


で、この展示品の中で、唯一、撮影が許されていたのが、

No. 181『仏涅槃像』。

香川の法然寺の所蔵。

82 体のうち、26体。

江戸時代の作。


この法然寺に関しては、会場で、映像による紹介もありました。


そして、この『法然と極楽浄土』展は、京都国立博物館、九州国立博物館と、巡回していきますが、


『東京会場だけ!』というのが、

No. 188『祐天上人坐像』。東京の祐天寺所蔵。

竹崎石見作。享保4年(1719)。


「祐天入寂の姿を写した迫真の祐天寺本尊」


圧巻なのが、増上寺所蔵のNo. 194『五百羅漢図』。


100幅のうち、24幅が。

ただ、展示替えで、

そのうち、11、12、23、24、41、42、59、60、63、64、81、82幅を見ることが出来ました。


混雑を考えて、第2会場からまわりました。

人も、ほとんどおらず、ゆっくりと。

で、第1会場へ。

すると、9時30分の開館時には、多くの人がいたのですが、その人の波が途絶えていて。

最初だけだったのです。


3時間ほどをかけて、じっくりと。


で、その後に、『絵解き』が。



























ということは、この後、京都国立博物館、九州国立博物館と巡回に参加するということ?
長い長い『旅』。