4月22日(月)、新国立劇場小劇場。

『デカローグ』の、プログラムBを見ました。


プログラムBは、『デカローグ』の2と4。


基本的に、この『デカローグ』という作品は、1話から10話があり、どこから見始めてもかまわない構造に。

1編1編が、互いに絡み合いながらも、それぞれが独立していて。


で、4月13日(土)から始まった『デカローグ』は、A(1話、3話)、B(2話、4話)との交互上演で、たまたま、Bから見ることになりました。

Aは、小川絵梨子の演出。Bは、上村聡史の演出。

どちらも、須貝英による上演台本。 


『デカローグ』2は、『ある選択に関する物語』。


「一人暮らしの医師と愛人の子供を身籠った女性バイオリニストの対話と選択。」


一人暮らしの老医師(益岡徹)は、同じアパートに住む、交響楽団のバイオリニストのドロタ(前田亜季)から、夫アンジェイ(坂本慶介)の病状を尋ねられます。

老医師が、その主治医だったからです。

しかし、病院以外で、患者の病状を話すことは許されず、病院に来ることを求め。

病院で、ドロタは、自分が愛人ヴィテックの子どもを妊娠していること。夫のアンジェイが死を迎える状態ならば、そのまま出産し。また生存する可能性があるのならば、中絶することを、伝えます。

ドロタにとっては、妊娠、出産は、年齢的に、最後のチャンス。

そして、ドロタは、夫アンジェイも、また愛人ヴィテックも、両者をともに愛していることも。


で、医師は、アンジェイが生存する可能性の低いことを告げ。


それを告げられたドロタは。


ドロタの『選択』。


それがどのようなものであり、どうなったか。


物語は、しっかりと、そこまで描いていきます。


しかし、それは、『ネタばれ』になるので。


ただ、アンジェイが生きるか、死ぬかによって、子どもを生むか、生まないか、を決めていく。というドロタの生き方。

そこから、ドロタは、自らの主体的意志を持って生きる存在へと変わっていくのです。

その『生き方』の変化が伝わって来ます。


そして、ここには、もうひとつの物語が。

それは、自らがすでに『死』の宣告を受けている老医師。

彼が、妻と子どもふたりを、一瞬にして失ったという、悲しい過去の出来事を経て、現在があるということ。


ただ、その背後にある物語は、薄く描かれて。

ただ、そうした『過去』を背負っているからこその、現在ではあると思うのですが。


ドロタの『選択』。


その先にあるのは、希望か、絶望か。


『デカローグ』4は、『ある父と娘に関する物語』。


「父と幸せに暮らす娘。ある日、娘は父が自分に宛てた手紙を見つける。」


演劇学校に通うアンカ(夏子)は、父ミハウ(近藤芳正)とのふたり暮らし。

アンカが生後5日目に、母が亡くなり。

父と娘は、「まるで友達同士の様に仲睦まじく生活」(チラシ)していたのですが。


父のミハウが、出張する時には、必ず持っていった『死後開封すること』と書かれた封筒。

それをある時、ミハウは、置いたまま出張。

それを見つけたアンカは。


そこから、物語が動いていきます。


果たして、アンカは、その中身を読んだのか。

そこには、何が書かれてあったのか。


ミハウは、アンカが自分の子どもではないと気づいていて。


アンカは、自分は父ミハウの子どもではないかもしれないとの疑いを抱いていて。


そのふたりの間に流れる、微妙な空気。


その『空気』が、どのように醸し出されるか。


どちらかが、一歩、前に足を踏み出せば、すべてが壊れてしまう『父と娘』。

その、ある『父と娘』の物語。


で、父は、『娘』のどこに、『女』を感じ。

娘は、『父』のどこに、『男』を感じたのか。


その、微妙な空気。

その、揺らぎあう、微妙な空気。

そこが、もう少し描かれていれば。


そして、そこからさらに、どのような日常生活が続いていくのか。