5月3日(金・祝)、県立神奈川近代文学館で開催中の、『帰って来た橋本治展』に行きました。


6月2日(日)までの開催。


橋本治(1948~2019)。


彼の死は、衝撃でした。


享年 70。


ほぼ同時代を生きていて。


チラシから、

「1977年に高校生の日常を描いた『桃尻娘』で小説家としてデビューし、それまでにないスタイルと内容で世間に衝撃を与えました。すでにイラストレーターとして活躍していた橋本は、以後、小説執筆と併行して、恋愛や性、家族、時代を論じ、舞台やイベントを演出し、セーターの編み方を教え、古典をひもとくなど、八面六臂の活躍を繰り広げました。」


橋本治の名前を、はじめて心にとめたのは、1968年の、第19回駒場祭のポスター。

『とめてくれるな

  おっかさん

 背中のいちょうが

  泣いている

    男東大どこへ行く』

この斬新さ。


そして、まさに、「八面六臂」の活躍。


ゴールデンウィーク中で、港の見える公園は、大勢の人びとが訪れていて。

しかし、『橋本治展』、混雑など、していないだろうと高を括って。


ところが、混雑していて。

しかも、展示されている、橋本治の文章を、じっくりと。

みな、熱心なのです。


もっとも、理由はすぐにわかりました。


その日、14時から、橋爪大三郎さんによる記念講演会『橋本治という時代』があったのです。

うっかりしていて、その講演会のことは、その日、近代文学館の案内で知りました。

すでに、予約でいっぱいとのことで、受付を終了していました。


その講演会の参加者たちが、講演会のはじまる前に、展示室にいたのです。

熱心なのは、当然。

で、講演会がはじまった14時以降は、ゆっくりと展示物と向き合うことが出来るようになりました。


会場は、

第1部『橋本治とその時代』

第2部『作家の仕事』

第3部『橋本治美術館』


「当館は、2019年以降、橋本治の直筆原稿をはじめとする資料をご家族、ご関係の方々から寄贈いただき〈橋本治文庫〉として保存しています。」(チラシ)

とあるように、橋本治の誕生から、成長。そして、多方面にわたる『活動』を、よく網羅していて。

見ごたえのある、充実した展示となっています。


歌舞伎がとても好きで、それに関しての著作も多くあり。

で、歌舞伎座に通い。

その席は、三階東の18か19。

そのチケットを、びっしりと貼り付けたスクラップブック。

その緻密さ。その執着心。

感動しました。


こちらも、学生時代は、歌舞伎座は三階の東と。

しかし、席番までのこだわりとは。


彼の描いた、6代目歌右衛門。2代目松緑。17代目勘三郎。などなど。

そのイラストは、見事に、その特徴をつかんで。


橋本治の、八面六臂の、多方面にわたる活動。

そのうちの、いくつかに触れるだけでしたが。


今回、あらためて、その『巨人』の全貌を確認しました。


それにしても、と思うのですが。

引っ越しをすることになって、本を整理し、十分の一ほどにしました。

部屋の大きさがあり、物理的に収蔵出来ず。

また、別に部屋を借りるという経済的余裕もなく。


で、橋本治の作品も、かなり手放しました。

が、もったいないことをしたな、と。


もちろん、そのまま手もとに置いておくものもありますが。



彼の仕事場の写真です。
編集者も、立ち入れさせず。
『ファラオの間』と、入口の扉に書いてあり。


会場に置いてあった『ワークシート』。



そして、

橋本治の遺作となった、未完成の『人工島戦記』。

集英社の『小説すばる』1993年10月号から1994年3月号まで、『人工島戦記』として連載された、約500枚の原稿に、その後、10数年にわたって、著者による大幅な加筆、修正が加えられ。
3000枚を越える遺稿。しかし、未完。






その『人工島戦記』、持っています。




しかし、まだ、読みはじめていません。


読みはじめたら、そのおもしろさに取り憑かれて、いったい何日にわたる『引きこもり』生活になるか、不安で。

もしかすると、『現実』生活に、戻って来られないのではないか、と。