4月25日(木)、こまつ座の『夢の泪』を、新宿の紀伊國屋サザンシアターで見ました。


井上ひさしの作。

栗山民也の演出。


新国立劇場の、『東京裁判三部作』。

『夢の裂け目』、『夢の泪』、『夢の痂』。


それぞれの初演は、

2001年『夢の裂け目』。

2003年『夢の泪』。

2006年『夢の痂』。


その三部作を見て、作者の思いの強さが前面に強く出過ぎていて、物語としての『ふくらみ』に欠けると感じました。

もちろん、井上ひさしの、『思い』は、わかりすぎるほどわかり、共感するのですが。


井上ひさしを、その生み出す作品を、以前から見続け。

その作品を、終生、見続けていこうと思っていました。


で、どうしても、井上ひさしの、以前の作品、初演時の作品と比較してしまうのです。

そして、初演時の作品への思い入れがあり。

新鮮な感動があり。


再演だと、すでに、その全体像が見えていて、展開も、そのなかから暴かれる事実も、承知した上での観劇となり。

確かに、上演を重ねることで、練り上げられたものがあることは認めるのですが。


今回は、こまつ座第149回公演として。


『東京裁判』とは、なんであったか?

その問いかけは、『なんであったか』という過去形ではなく、現在においても、その問いかけを続けていかなくてはならない、あるいは、現在だからこそ、問わなくてはならないもの。

この作品を見終えて、あらためて、強く感じました。


井上ひさしの、その問いかけに対する答えは、

「不都合なものはすべて被告人に押しつけて、お上と国民が一緒になって無罪地帯へ逃走するための儀式」。


現在の、政治家をはじめとして、『責任』を取らない社会が、そこから生み出されて、今に至り。


舞台は、敗戦のあくる年の4月、

かろうじて焼け残った、新橋のビル。

そこに弁護士事務所を構える

伊藤菊治(ラサール石井)・46歳。

その妻、弁護士である秋子(秋山菜津子)・38 歳。

秋子の連れ子の永子(瀬戸さおり)・19歳。


菊治と秋子の夫婦仲は、女好きの菊治の起こす問題で、破綻していて。

かろうじて、共同経営者としての関係が、ふたりを結びつけているだけ。


その秋子が、『東京裁判』で、A級戦犯に問われた松岡洋右の補佐弁護人の話を持って来ます。


で、菊治とともに、補佐弁護人として、『東京裁判』に関わっていくのですが。


そのことで、弁護士事務所を大きくしていくことが出来ると、その経済効果を期待する菊治。

『東京裁判』を通して、この国の指導者たちの、その責任を明らかにしていこうと意気込む秋子。


A級戦犯として起訴されたのは、28人。

そのうち、松岡洋右ら3人が、途中で死亡し。

残りの25 名が有罪となり、東條英機、広田弘毅、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、武藤章、木村兵太郎の7名が絞首刑に。


この有罪判決に、

『国内法的には、戦争犯罪人ではない。』

『戦争で勝利した者が、敗者を裁いた。』

との批判もありますが。


東條英機が死亡したことにより、菊治と秋子は、補佐弁護人から外されることに。

で、東條英機には、判決が出ていません。


秋子は、その結果に納得出来ず。

娘の永子は、

「日本人のことは、日本人が考えて、始末をつける」と、母に答えます。


で、日本人は、自らの手で、「始末をつけ」たのか?


裁判ということでは、将校クラブの歌手である、ナンシー岡本(藤谷理子)・29歳と、チェリー富士山(板垣桃子)・29歳の、持ち歌問題があります。

それぞれの持ち歌『丘の上の桜の木』と、『丘の桜』が、同じ歌詞、同じメロディー。

で、どちらの持ち歌か、裁判に。ということで、菊治たちの弁護士事務所を訪れます。

しかし、調べていくと、それぞれの夫の歌ということだったのが、実は、それぞれの夫が同じ部隊にいたことがあり、その隊付き将校が、真の作者だと。

で、すでに亡くなっていた将校の妻が、多くの人に歌ってほしい、と。

そこで、ナンシーとチェリーは、仲良く歌い続けて。

という、もうひとつの争いの結論。


それにしても、日本人は、あの戦争から、一体、何を学んだのでしょうか。


それは、敗者だから考えなくてはならないということではなく。


菊治は、戦後の『繁栄』のなかで、4階建てのビルを建て。

相変わらず、金と、女を追いかけて。


弁護士の竹上玲吉(久保酎吉)・69歳。

事務所事務員・夜学生の田中正(粕谷吉洋)・28歳。

新橋片岡組組長代理で学生の片岡健(前田旺志郎)・19歳。

米陸軍法務大尉のビル小笠原(土屋佑壱)・35歳。


ピアノ演奏、朴勝哲。











初演のプログラム。





伊藤菊治を、角野卓造。
秋子を、三田和代。

それにしても、クルト・ヴァイルの音楽に、言葉をのせて、台詞として歌うことの難しさ。
あらためて、感じました。