4月17日(水)、奈良国立博物館で開催中の『空海 密教のルーツとマンダラ世界』展に行きました。


空海の、『生誕1250年記念特別展』。

それにふさわしい、充実した展示物、その解説で。

およそ3時間。

濃密な時間を過ごすことが出来ました。


会期は、前期が4月13日(土)から、5月12日(日)。

    後期が5月14日(火)から、6月9日(日)。

会期中に、一部作品の展示替があります。


会場は、

第1章『密教とはー空海のつたえたマンダラの世界』(チラシでは『空海の描いた世界』となっています。)


展示番号No. 1は、元興寺の『弘法大師座像』。重要文化財。


まずは、空海さんに、ご挨拶をして。


空海は、「密教は奥深く文筆で表し尽くすことが難しい。そこで図や絵を使って悟らない者に開き示すのだ」(チラシ)と。


この第1章の空間に、

No. 2の、安祥寺の五智如来坐像。

大日如来を中心に。東西南北に、それぞれの如来が座し。

国宝です。


国宝では、

No. 7の、西大寺の十二天像。

No. 9の、教王護国寺(東寺)の五大尊像(不動明王、大威徳明王)。


国宝の、京都国立博物館所蔵の『十二天像』、醍醐寺の『五大尊像』は、後期なのが残念。


そして、現存する最古の彩色曼荼羅である、金剛峯寺の『両界曼荼羅(血曼荼羅)』。No. 4。


そもそも『マンダラ』とは、

サンスクリットの音写語で、『マンダ』は形容詞としては丸い。名詞としては、円、球、中心、本質。

『ラ』は、所有すること。

で、『大日経』では、『本質を有するもの』。

という、解説が記されていました。


なるほど。


第2章『密教の源流ー陸と海のシルクロード』

「密教は仏教発祥の地・インドにおいて誕生しました。その根本経典とされるのが『大日経』と『金剛頂経』です。『大日経』は、陸路を通って唐に入ったインド僧、善無畏により漢訳され、『金剛頂経』は、海路を経て唐に入ったインド出身の金剛智によってもたらされました。」(チラシ)


今回、インドネシア国立中央博物館所蔵の、51軀の仏像をはじめとして、鈷杵、鈷鈴が、国際共同プロジェクトで修理後、来日しています。

No. 27から36。

(金剛界曼荼羅彫像群は46軀で、No. 27)


小さな小さな仏様たち。


NHKのテレビ番組、『歴史探偵』で、空海。

そのなかで、このインドネシアの金剛界曼荼羅彫像群にも触れて。


第3章『空海入唐ー恵果との出会いと胎蔵界・金剛界の融合』

「讃岐国に生まれた空海は、山林などでの修行を経た後、遣唐使の一員として学ぶ機会を得て唐に渡りました。そして長安で密教の師、恵果阿闍梨と運命的な出会いを果たします。」(チラシ)


国宝の、No37『聾瞽指帰』下巻。金剛峯寺。

『三教指帰』とも。


No. 39が、『性霊集』。武田科学振興財団杏雨書屋の所蔵。


『性霊集』、文学史の中で、習いました。


国宝として、No. 43『真言七祖像』。教王護国寺(東寺)所蔵。

そのうち、不空は前期。恵果は後期。


空海の師である、恵果。その師である不空。

このふたりは、密教の教えをまとめた書物を残さなかった、と。


中国・西安碑林博物館からも。

No. 48『文殊菩薩坐像』。なども。


第4章『神護寺と東寺ー密教流布と護国』

①高雄山

「帰国した空海は、神護寺を拠点に密教の流布を行い、多くの僧侶たちが密教を」

学ぶようになり。

また、「朝廷の信頼を得た空海は、平安京の東寺を任され」て。


ここに、今回一番の『売り物』。No. 69神護寺の『高雄曼荼羅』が。


「日本最古、空海自身が制作に関わった現存唯一の両界曼荼羅。」(チラシ)


「修理後初公開!」(チラシ)。


もちろん、国宝です。


ただ、両界曼荼羅のうち、胎蔵界は、前期展示なのですが、金剛界は、後期展示なのです。

残念。


また、空海の自筆の史料も。

No. 70の『灌頂歴名』(神護寺所蔵)。国宝です。

同じく国宝の、No. 72『久隔帖』(奈良国立博物館所蔵)、No. 73『風信帖』(教王護国寺・東寺所蔵)。

なども。


②東寺と護国密教

No. 83が、教王護国寺・東寺所蔵の『両界曼荼羅』。国宝。


③多才なる人ー執筆活動

No. 94が『文鏡秘府論』(三宝院所蔵)。

『性霊集』も。


三筆のひとりとして、称賛される空海の書。


伝説では、両手両足と口で、同時に、5本の筆を操った、と。

で、『五筆和尚(ごしつわじょう)』と呼ばれた、と。


そのことで、

『五筆和尚』というのは、

「篆書・隷書・楷書・行書・草書の五つの書体を、空海が自在に使いこなしたことを意味する呼び名だったと考えられる。」

と、奈良国立博物館の学芸部研究員の樋笠逸人氏。

(『奈良国立博物館だより第129号』の『空海の草書』より)


で、空海、自らの名前を記す時に、『空』の次の『海』を、『毎』と記して、その下に『水』でひと文字に。


空海、『海』という字を知らないのかと思って、行を進むと、『海』は『海』

と記していて。

これが、疑問。


最澄の『最』が、『宀』に『取』というのは、よく見かけますが。空海が、最澄と記す時は、やはり、『宀』で。


などということを考えながら。


だから、時間がかかるのですが。


そして、最後が、

第5章『金剛峯寺と弘法大師信仰』

そのなかでおもしろかったのが、

国宝の、No. 107『後醍醐天皇宸翰天長印信』(醍醐寺所蔵)。

後醍醐天皇が、側近の僧である文観房弘真に、自らが写したものを贈ったのですが、弘真が確認したところ、一行20字が抜けていて。

弘真の『無念無念』という言葉が、最後に書き足されていて、なんとも、生き生きと、その気持ちが伝わって来ました。


No. 99『孔雀明王坐像』。鎌倉時代のもので、金剛峯寺所蔵。

見事なつくり。重要文化財です。


No. 111が、長谷寺の『高雄曼荼羅図像』。

前期が胎蔵界巻一。

後期が金剛界巻上。

重要文化財。


最後のNo. 115が、金剛峯寺所蔵の『弘法大師坐像』。


弘法大師坐像にはじまり、弘法大師坐像でおわる。


作品リストは、No. 115まで。


で、前期展示は、83点。

そのうち、国宝が22点。重要文化財が37点。


ちなみに、後期に行くと。

展示は、84点。

そのうち、国宝が16点。重要文化財が41点。


前期後期を通しての展示で、重複しているものもあります。


内容がとても豊かで。


しかし、『正倉院展』の混雑を何度も体験しているので、覚悟して出かけたのですが。

意外なほど、訪れる人は多くなく。

そのために、ひとつひとつ、丁寧に見ていくことが出来たのですが。





『修理』と『修復』の違いについて、考えました。

こうした文化財を、完成した当時の状態にまで戻すのがいいのか。

もちろん、完成した当時の状態など、誰も見たことはないし。

ただ、色鮮やか彩色を想像するだけ。
それもまた、楽しいのですが。






以下は略します。 

この『空海』展から数日後。
偶然、テレビで、『空海 KU-KAI 美しき妃の謎』。
2017年公開の、日本と中国の合作。
監督・脚本は、チェン・カイコー。
それで、見ることにしたのですが。

空海を染谷将大。
阿部仲麻呂を阿部寛。

原作が夢枕獏。

中国での題名は、『妖猫伝』。
英語では、『Legend  of  the  Demon Cat』

そういえば、
1984年公開の、佐藤純彌監督。早坂暁脚本の『空海』という映画もありました。

空海を北大路欣也。
最澄を加藤剛。

こちらは、『真言宗』の御墨付きで。

ただ、桓武天皇が丹波哲郎。
嵯峨天皇が西郷輝彦。
でした。

179分の大作。