3月15日(金)、『三月大歌舞伎』昼の部

見ました。


最初の演目は、『菅原伝授手習鑑』の、『寺子屋』。


『菅原伝授手習鑑』という名作中の名作のなかでも、ひときわ光をはなつ段。


主君への『忠義』を縦軸とするならば、親子や夫婦の『情愛』を横軸として。


『宮仕え』などするから、『忠義』に縛られて。

「すまじきものは、宮仕へ」。


それは、現代にもあてはまるのではないかと。


それぞれの人物が、しっかりと描かれています。その根幹があるので、名優たちが『演出』などの工夫を加えても、揺るぐことがなく。


松王丸を、菊之助。

その妻千代を、梅枝。


一方の、武部源蔵を、愛之助。

その妻戸浪を、新悟。


四者が、がっぶりと組み合い。


園生の君を、東蔵。


菊之助、役者の持ち味として、『ニン』として、やはり、『悪』を演じることが、むずかしく。


前半の松王丸は、ひととおり。

しかし、後半になって、松王丸がその底を見せるようになって、道真に対する思い、三つ子の弟桜丸に対する思い、我が子小太郎に対する思い。

その思いの、爆発。大泣きへ。

見ごたえが。


相手の武部源蔵の愛之助。

彼の『芸域』の広さ。喜劇から悲劇までも。

今回は、道真への『忠義』に、苦悩する姿を。

台詞も、しっかりとしていて。見ごたえ、聴きごたえがあり。


そして、梅枝。

着実に、その実力を深めて。


次の演目が、『傾城道成寺』。

先代の四世中村雀右衛門の、十三回忌追善。

その『姿』、その『声』、今も目に焼きつていて、耳に残っていて。

決して、セピア色の追憶ではなく、まだまだ鮮やかに、その色は褪せることなく。


で、追善興行なので、その『京屋』の人々が。

現雀右衛門。傾城清川、実は清姫の霊。


長男の、大谷友右衛門。

その息子、廣太郎、廣松。


それに、菊五郎、松緑が付き合って。


松緑は、白川の安珍、実は、平維盛。


しかし、演目として、28分。

その扱いを、どのように考えるのか?

先月の、十八代目中村勘三郎の、十三回忌追善の興行と、ついつい、比較してしまいます。


最後の演目が、真山青果の『元禄忠臣蔵』のなかから、『御浜御殿』。

真山美保の演出。


これも、よく演じられる演目です。


徳川綱豊を、仁左衛門。

その圧倒的な存在感。

彼が、何を思い、何に苦悩し。

そのなかから、あるべき姿を模索する。

そうした人間造型の深さ。

それが、しっかりと伝わって来ます。


赤穂事件。

その処理に対する不満から、吉良上野介への仇討ちを狙う、大石内蔵助をはじめとする赤穂の浪士たち。


綱豊は、どのように考えているのか。


祇園で遊興にふける大石内蔵助。


そして、綱豊は。


次の将軍とのうわさ。

それに対して、遊興三昧の日々を過ごす綱豊。


やがて、6代将軍家宣に。


浅野大学による、御家再興を願い出た大石。

しかし、その再興がかなえば、吉良への仇討ちはなくなる。

大石内蔵助の陥った二律背反。


その大石内蔵助への、綱豊の思い。


その綱豊と、『議論』をかわす人物として登場するのが、富森助右衛門。

松本幸四郎が、富森助右衛門。演じて。

その直情。

まっすぐに、綱豊に向かっていき。


中﨟お喜世を、梅枝。


上﨟浦尾を、萬次郎。

つくづく、うまい役者だと。


御祐筆江島を、孝太郎。


新井勘解由を、歌六。


見ごたえのある舞台。


この舞台も、綱豊という人間、助右衛門という人間が、しっかりと、その内面を持った人物として、舞台上に立ち。


昼の部、いい、舞台が並びました。


それにしても、仁左衛門を別格として、歌舞伎座の舞台に立つ役者たちの顔ぶれが、大きく変わりました。