2月22日(木)、歌舞伎座。猿若祭二月大歌舞伎。


十八世中村勘三郎十三回忌追善の興行。


もう十三回忌とは。

早いものです。

つい昨日のように思えて。

今も、どこかの舞台にたっているように思えて。

それほど、強く記憶に刻み込まれていて。


最初の演目。『猿若江戸の初櫓』。


「中村屋ゆかりの晴れやかな舞踊劇」(チラシ)


「江戸で初めて幕府の許可を得て櫓をあげた、初世勘三郎の猿若座(後の中村座)。江戸歌舞伎の源流となった猿若と、出雲の阿国が揃って登場する、めでたい一幕です。」(チラシ)


京で評判の歌舞伎踊りを見せる、猿若と出雲の一行。

江戸へ向かう途中で、将軍への献上品が運べず困っている材木問屋の福富屋夫婦を助けます。

すると、それを見ていた奉行の板倉勝重。

その板倉勝重が、猿若たちに与えたのは。


猿若を、勘太郎。

出雲の阿国を、七之助。   

奉行板倉勝重を、獅童。  

この獅童、歌舞伎の世界での大きな後ろ楯がなかったのを、勘三郎が面倒をみて。

その時代の、心細そうな様子、よく覚えています。

それが、今では、歌舞伎座の大舞台に、堂々と。しかも、大きな役を得て。


福富屋万兵衛を、芝翫。

その女房ふくを、福助。

福助は、後ろから支えられながら立ち。

台詞を。

その元気そうな姿を見て、ひと安心。


そして、若衆には、

坂東亀蔵、萬太郎、種之助、児太郎、橋之助、鶴松がならび。


まさに、『祝祭劇』。                                              


次の演目は、『義経千本桜』の『すし屋』。

歌舞伎三大名作のひとつ。繰り返し上演されて。


作者は、竹田出雲、並木千柳、三好松洛。


延亨4(1747)年11月、竹本座で初演。

翌年には、歌舞伎として、中村座で初演。


この『すし屋』は、全5段のなかの、3段目。


舞台は、吉野の下市村。

そこで、釣瓶鮓屋を営む弥左衛門。

妻と、息子、娘との暮らし。

そこに、弥助が住み込んで働くようになり。娘のお里は、その弥助に夢中になり。

そこで、弥左衛門は、お里と、弥助と、祝言させることにして。


息子の権太は、『いがみの権太』と呼ばれるように、問題を起こしまくり。ついには、勘当の身。

妻との間に、ひとりの子どもが生まれ。


この『すし屋』の前にある『椎の木の段』『小金吾討死の段』が一緒に上演されると、その人物のことや、人間関係のことや、彼らの置かれている状況なども、よくわかるのですが。


平重盛の恩を受けた弥左衛門。

その息子の維盛をかくまい、弥助として。


その弥助をめぐる、若葉内侍と、お里。


祝言に浮き立つお里は、早く床につきたいと、弥助をせかし、先に蒲団に。


そこに尋ねて来たのが、維盛の妻である若葉内侍と、ふたりの子である六代君。


蒲団のなかで、身をかたくして、聞き耳をたてていると、聞こえて来たのは、弥助、実は維盛の言葉。

この家の娘のお里が、自分に夢中になり。で、そのお里から、万が一に、自分の身分が知れたら大変なので、『義理』で抱いた、という弁解の言葉。

これまで、寝所をともにしたのは、愛情からではなく、義理で、仕方なく抱いたのだと。


お里にとっては、まさに、驚天動地。

思わず、泣き声をもらし。


弥助、実は維盛の、身勝手な言い分。

もっとも、維盛の身分であるならば、自分の身の回りのことをする女性は、みんな自分のもの。手をつけようが、なにしようが、勝手次第。

なのでしょうが。


そこには、お里への配慮もなく。


で、その維盛の首を所望してきたのが、源氏方、梶原平三景時。


維盛の首を差し出すか、どうか。


弥左衛門の作戦。


そして、権太の作戦。


そこに、伏線が働いて。


見事な物語の展開です。幾度見ても、あきることなく。


権太が、褒美の金欲しさに、維盛の首と、維盛の妻子を差し出し。


それに怒った弥左衛門が、権太を刺して。


その苦しい息のしたから、権太の告白。


維盛の首と見えたのは、実は、若葉内侍と、六代君を守って来た小金吾の首。

もともと、弥左衛門が利用しようと、切り取って、家に運び込んでいたもの。

で、若葉内侍、六代君と見えたのは、権太の妻子。


しかし、そうした小細工を、すべて無にしてしまう、源頼朝と、梶原景時の計略。

すべては、頼朝の手のひらの上。


いがみの権太を、芝翫。

弥助、実は三位中将維盛を、時蔵。

お里を、梅枝。

若葉内侍を、新悟。

弥左衛門女房お米を、梅花。

梶原平三景時を、又五郎。

鮓屋弥左衛門を、歌六。


役者もそろい、よくまとまった舞台。


芝翫が、世代的に、このあたりの役柄を、これからもこなしていくことと。

ただ、よく演じているとは思うものの、心に、ぐさりと突き刺さっては来なかったのはなぜだろうか、と。

考えています。

     

最後の演目が、『連獅子』。

中村屋が、大切に、演じ、伝えて来た演目。


十七代目勘三郎と、十八代目勘三郎(当時は、勘九郎ですが)。


十八代目勘三郎と、そのふたりの息子。今の勘九郎と、七之助。


そして、勘九郎と、長三郎。


親獅子と、仔獅子。

その間に通う、愛情。そして、それゆえの厳しさ。

それは、現実の舞台の、『芸』の伝承につながり。


親は、厳しく我が子を鍛え。

子は、必死に、それに応え。


今回、勘九郎と、長三郎のふたりを見ながら、鍛え、鍛えられの関係と、そこに通う愛情を感じました。


客席からの万雷の拍手。