1月31日(水)、『哀れなるものたち』を、見ました。


監督は、ヨルゴス・ランティモス。


脚本は、トニー・マクナマラ。


原作は、アラスター・グレイが、1992年に発表した、同名小説。

原作は、読んでいません。


ベネチア国際映画祭で、金獅子賞を受賞。


ゴールデングローブ賞では、ミュージカル/コメディ作品部門の作品賞、主演女優賞を受賞(エマ・ストーン)。


見終えて、というよりも、見始めて、激しい衝撃波に幾度も襲われ、『映画』のおもしろさを堪能しました。


物語は、

橋から飛び下りて、自ら命を絶った女性が、天才外科医ゴッドウィンにより、再生されて。

その時、妊娠していた女性から、胎児の脳を摘出し、それを女性の頭に移植。

そのため、ベラと名づけられた女性は、25歳の肉体に、胎児の脳を持って、新しい『生』を得て。

その成熟した肉体と、零歳児の脳を持つ女性の、成長の物語。


物語の展開が、刺激的なのです。

ただ、そのおもしろさを記すと、『ネタばれ』になってしまうので。


時代は、ヴィクトリア朝のイギリス。

その時代における、女性の『地位』。

そのことが下敷きとしてありますが、それだけではなく、現代における、『有り方』『生き方』にも関わって。


優秀なベラの脳は、急速に成長し。

乳児、幼児のヨチヨチ歩きから、次第に、確かな歩みとなり。

言語も、幼児の言葉から、大人の言語世界へと。


しかし、ゴッドと呼ばれるゴドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)の庇護下では、外の『社会』とは隔離されていて。

そのうちに、脳は、肉体の『快感』を覚え。


ゴドウィンは、弟子のマックス(ラミー・ユセフ)と結婚させて、そのまま庇護下に置いておこうとしたものの、その結婚の証人として招いた弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)は、ベラの魅力に夢中になり。

そのダンカンとともに、ベラはイギリスを離れ、大陸横断の旅に。


リスボン。

そこから船でアレクサンドリア。

そこで、貧しさから命を落とす子どもたちの姿を見て、ダンカンの、そのまま賭博で稼いだ金を、すべて投げ出し。

一文無しで、パリに。

で、金を稼ぐために娼館に。


で、さらに、いろいろとあって。


ベラは、医師への道を。


モノクロとカラーを使った映像のおもしろさ。

音楽のおもしろさ。

そして、なによりも、物語の展開のおもしろさ。


時代の制約、女性に対する偏見。

ベラは、その『遍歴』を通して、平等やら、自由やらを獲得して。

いわば、ベラの再生と成長の物語。


ゴドウィンが亡くなったあとの屋敷で、マックスと、ベラと同じようにして誕生したフェリシティと、パリの娼館で知り合った、社会主義を信奉する女性との、穏やかな生活。

そして、ベラを自殺に追い込んだ夫のアルフィーも、そこにいて。

そのアルフィーの姿に、びっくり。


ゴドウィン・バクスターを演じたウィレム・デフォー。

『フランケンシュタイン』に登場する怪物のように、顔や体が縫い目だらけで。

しかし、それは、彼の父親の『特殊』な教育によるもの。

そのゴドウィンの存在がしっかりとしていて、物語が、さらに豊かなものに。


ゴドウィンの、食事の時のゲップが、風船のように口から飛び出し、空中で割れるのが、その都度、おかしくて。


ヨルゴス・ランティモス。

ギリシャ出身。

『籠の中の乙女』(2009)。

『ロブスター』(2015)。

『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(2017)。

『女王陛下のお気に入り』(2018)。この作品に、エマ・ストーンも。

などなど。