1月24日(水)、歌舞伎座の『初春大歌舞伎』夜の部に行きました。


最初の演目は、『鶴亀』。

謡曲を、ほぼそのまま長唄に。


嘉永4(1851)年12月、

「十世杵屋六左衛門が素の演奏用として作曲し、後に振付が施されました。以来、歌舞伎舞踊の内でも祝儀曲の代表作として、その地位を保ち続けています。」

(『筋書』の『解説とみどころ』)


舞台は、唐土。正月を迎えた宮廷では、

「春の節会に際し、帝が出御、百官卿相が威儀を正して侍る中、万民が声を揃えて拝賀します。これを受けた帝は、廷臣のふたりを鶴と亀に扮装させて嘉例の舞を舞わせ、さらには、自身も月の世界にある月宮殿において天人が舞うとされる霓裳羽衣の曲を舞い、天下泰平と五穀豊穣を願うという構成。」

(『筋書』の『解説とみどころ』)


女帝を、福助。

亀を、松緑。

鶴を、幸四郎。

従者を、左近。染五郎。


福助。

座ったままの状態で。

片手だけを動かして。


そのふくよかな姿。


『寿曽我対面』。

日本三大仇討ちのひとつ、『曽我の仇討ち』。


「特に、宝栄年間(1704~1711)以降、江戸の地では、この仇討ち事件を素材にした『曽我狂言』と呼ばれる演目が数多く成立しました。その後、縁起物として初春興行で上演することが吉例となり、幕末まで続く慣例でした。」

「そうした『曽我狂言』の内、『寿曽我対面』は集大成と位置づけられており、現在では、明治18(1885)年の上演に際し、河竹黙阿弥がまとめた台本の基にして、上演を重ねています。」と。

(『筋書』の『解説とみどころ』)


『曽我五郎』の『五郎』と、『御霊』とがつながって、『御霊信仰』によるものなどという説もありますが。


舞台は、工藤左衛門祐経(梅玉)の館。


工藤祐経は、源頼朝から、富士の裾野で催される巻狩りの総奉行を任命され、その就任を祝う宴に、諸大名が訪れて。


小林朝比奈(彌十郎)、梶原平三景時(錦吾)と平次景高(桂三)の親子をはじめとする大名。

工藤の家臣である近江小藤太成家(松江)、八幡三郎行氏(虎之介)。

また、傾城の大磯の虎(魁春)、化粧坂少将(高麗蔵)も招かれて。


その祝いの席に、小林朝比奈の紹介でやって来たのが、

曽我十郎祐成(扇雀)と、五郎時致(芝翫)の兄弟。

所領争いがもとで、彼らの父親の河津三郎祐康が、工藤に殺され。

(父親と姓が異なるのは、母親が再婚したことにより)


十郎が、和事。

五郎が、荒事。


で、いろいろあって、


頼朝から任命された、巻狩りの総奉行の任を果たさないうちは、兄弟に討たれることは出来ないとして、工藤祐経は、その役目を果たしたら、討たれることを約束。

巻狩りの場に来られるようにと、『切手』を渡し。

それが、『斬って』との掛詞のなっていて。


上演時間が50分ほどで。

登場人物たちも多く。

見た目も、はなやか。

また、内容もわかりやすい。

ということもあってか、上演されることの多い作品です。


で、作品として成立するためには、

まず、工藤祐経の大きさ。その存在が大きければ大きいほど、つまり、曽我兄弟の登らなくてはならない山が高いほど、『世界』は、おもしろさに満ちるのですが。

最近、『歌舞伎界』の立ち位置の関係から、梅玉が、この工藤祐経を演じることが多くなっています。

しかし、声量に欠けて、『世界』を支配する力が弱い。というよりも、梅玉の持っているものと、『工藤祐経』とは重ならないような。

そして、曽我五郎と十郎。

今回は、芝翫と扇雀。しかし、新鮮味が感じられず。

扇雀は、これまで、南座、大阪松竹座で演じていて、歌舞伎座での十郎は、初。つまり、今回がはじめての扇雀の十郎なのですが。


で、そうなると、『寿曽我対面』。

その豪華絢爛さが、魅力をうしない、寒々として来て。


次の演目は、小山内薫作の、『息子』。


「本作は、大正11(1922)年、文芸雑誌『三田文学』に発表された小山内薫の戯曲で、翌年三月、帝国劇場において、六世尾上菊五郎の金次郎、四世尾上松助の老爺、十三世守田勘弥の捕吏という配役で初演されました。」

(『筋書』の『解説とみどころ』)


もともとは、イギリスの作家ハロルド・チャピンの『父を探すオーガスタス』を翻案したもの。


火の番の老爺を、白鸚。

今回が初役。

その息子である金次郎を、幸四郎。

金次郎を追う捕吏を、染五郎。


高麗屋3代。


江戸から上方に行き、悪事を犯して、江戸に戻ってきた金次郎。


息子が、江戸から上方に行き、そこでまっとうな人生を送っていると信じている老爺。


雪の降りしきる12 月。

江戸の入口近くにある火の番小屋で、侘び住まいの老爺。

やがて、そこに、若い男がやって来て。

老爺は、若い男を、火にあたらせ、自分の弁当を与え。


ふたりの間で交わされる言葉。


そこに、男を追う捕吏が現れて。


言葉の力。

それを発する身体の力。


いわば、近代的リアリズム。


そして、暗く、重たく、救いはなく。


しかし、そこにある、濃密な時間、濃密な人間関係。


30 分に満たない作品ですが、堪能しました。                     


最後の演目が、

『京鹿子娘道成寺』。


「宝歴3(1753)年、江戸中村座で初世中村富十郎によって初演された『京鹿子娘道成寺』は、能の『道成寺』を素材とした女方の舞踊の中でも屈指の大曲です。作詞は藤本斗文、 作曲は初世杵屋弥三郎です。」

(『筋書』の『解説とみどころ』)


白拍子花子を、尾上右近。

(壱太郎とのダブルで、壱太郎は2~14日)


舞台は、桜が満開の紀州道成寺。

再興された撞鐘の鐘供養。


「修行僧の安珍に心惹かれた清姫が、心変わりした安珍を恨み、嫉妬のあまり蛇体と化して、安珍を道成寺の鐘ごと焼きつくしてしまった」

(『筋書』の『あらすじ』)


女人禁制の寺。

新造の鐘を拝ませてほしいと、花子と名乗る白拍子が現れて。

舞を舞うことを条件に、入山を許されて。


そして、花子の舞。


尾上右近の舞が、これまでの花子とは大きく異なり。


そこには、エネルギーが満ち。

それを情念と言い換えることも出来。

圧倒されました。


花子という、ひとりの女性。その背後にいる多くの女性たち。

その『思い』のせつなさ、つらさ。

それが、『負』のエネルギーとして爆発。


その過程があるために、やがて蛇体へと爆発していくことに、納得。


これまで、多くの花子を、舞台上に見て来ました。

記憶に残るのは、中村歌右衛門。

歌右衛門は、その躍りの緻密さ。そこに凝縮された情念。それが、メラメラと燃えていて。

そして、坂東玉三郎。

玉三郎は、その美しさ。そこにある、冷酷な人生。

と、感じましたが。


右近、本公演での花子は、これがはじめて。


『筋書』の『花競木挽賑』に、右近は、

「先人たちが築き上げてきた『道成寺』には、女方さんのなさる内面の情念で魅せる方向性と、立役さんのなさる技巧で魅せる方向性があると思いますが、私は女方も立役もさせていただくので、その両方を追い求めたいと思います。」

と語り。

さらに、

「大切なのは『テンポと緩急』」。


およそ1時間。


それを短く感じたのは、はじめて。


本来ならば、壱太郎の花子も、見ておくべきところなのでしょうが。





川瀬巴水の『雪の増上寺』。