1月16日(火)、東京芸術劇場プレイハウスで、三谷幸喜の作・演出の『Odessa オデッサ』を見ました。
三谷幸喜の、『新作』です。
『登場人物は三人。言語は二つ。真実は一つ。』
と、チラシに。
三人の登場人物。
スティーブ日高と名乗る青年は、鹿児島県出身。現在、アメリカに留学中で。柿澤勇人が演じています。
宮澤エマ演じる警部は、日系人で、母親が日本人で弁護士。父親が警部で、母親との確執もあり、父親のあとをついで、警察官に。しかし、失敗も多く、ニューヨークから、地方へ。しかも、遺失物係。男の子がひとり。
宮澤エマは、今回の舞台において、英語が堪能なので、その監修を。
迫田孝也は、アメリカを放浪中。鹿児島県出身ということで、日高と、話が通じて。英語は、一言も話せず。それが、殺人の容疑者として逮捕され。しかも、自白をして。
迫田孝也は、今回の舞台において、鹿児島弁の監修を。
舞台は、1999年のアメリカ・テキサス州のオデッサ。
冒頭に、横田栄司のナレーションが入り、『オデッサ』の説明が。
それによると、ロシアからの移民が、その故郷のオデッサの名前を、町の名前にしたと。
ちなみに、ウクライナにあるために、ロシアのウクライナ侵攻後は、ウクライナ語で、『オデーサ』と。
しかし、そのテキサス州のオデッサ、一時は石油により栄えたものの、それが枯渇して、すっかり寂れた町に。
舞台上には、バーのセット。
そこに、日高がやって来て。
ひとりの老人が殺されて、逮捕されたのが日本人。しかし、英語が話せないために、その通訳として。
町は、大量殺人があり、警察署は、そちらの捜査で手一杯。そこで、このバーを取調室に。
やって来たのは、遺失物係の警部がひとりだけ。
そして、逮捕され、しかも、自白した容疑者の日本人を相手に。
英語だけの会話。
日本語だけの会話。
英語と日本語を、それぞれに訳しての会話。
背面の壁に、『訳』が映し出され。
さらには、さまざまな、『あそび』も映し出され。
同じ鹿児島県出身ということで、無実を信じる日高は、殺人の告白を、『蕎麦打ち』やら、『ポエム』やらへと転換して、英語に。
その翻訳のおもしろさ、それをふくめての身体表現のおもしろさ。
しかも、次から次へと、速射砲的やり取り。
柿澤勇人にしても、宮澤エマにしても、迫田孝也にしても、三谷幸喜が、知り尽くした役者たち。
彼らの存在を、自由自在に操って。
音楽は、彼の作品ではお馴染みの、荻野清子。
生演奏で、今回の舞台も。
客席は、笑いの連続。大笑いの連続。
しかし、その笑いの洪水に、溺れることができず。
前半に仕込まれた『笑い』の要素は、殺人の告白を、いかにごまかすか、という、ひとつの『シチュエーション』の枠の中にとどまるもので、三谷幸喜の優れた作品では、その『シチュエーション』が次々に変化し、それが大きな物語を生み出して。
もちろん、その展開のなかに、さまざまな伏線が仕込まれていて。それが、回収されるのですが。
で、後半になって、展開が、物語の深部に届き。
それとともに、登場人物たちの深部が描かれ。
物語が一転し。さらに、一転し。
大きな『真実』が。
東京公演は、28日まで。
そのあと、大阪、福岡、宮城、愛知と回ります。
なので、ネタバレを避けて。
これまで、かなりの三谷幸喜作品を見て来ました。
『東京サンシャインボーイズ』から。(現在、長期休眠中ですが)
彼の歌舞伎作品、『決闘!高田馬場』(2006)は、傑作だと思っています。
で、帰り道、あれやこれやと、三谷幸喜の、作・演出作品を振り返って。
公式サイトから。
三谷幸喜の言葉を。
登場人物の少ない芝居を描きたくなりました。テーマは「言語」。
ずっとやりたかった題材です。今一番作りたい舞台を作ります。
集まってくれたのは、今一番信頼している俳優三人。柿澤さんのパワフルで繊細な演技はミュージカルの世界だけではもったいない。宮澤さんのコメディエンヌとしての才能は世界に通用する。そして俳優迫田孝也さんの得体の知れなさは底なしだ。この三人に当ててホンが書けるなんて、僕はなんと幸せ者なのでしょうか。
イントロダクション
オデーサ。 ウクライナ南部にある都市。 かつてはオデッサと呼ばれていた。
しかしこの物語は、オデーサともオデッサとも関係がない。
アメリカ、テキサス州オデッサ。
1999年、一人の日本人旅行客がある殺人事件の容疑で勾留される。
彼は一切英語を話すことが出来なかった。
捜査にあたった警察官は日系人だったが日本語が話せなかった。
語学留学中の日本人青年が通訳として派遣されて来る。 取り調べが始まった。
登場人物は三人。 言語は二つ。 真実は一つ。
密室で繰り広げられる男と女と通訳の会話バトル。
三谷幸喜が巧みに張りめぐらせる「言葉」の世界。
それは真実なのか、思惑なのか――――。
あなたはそのスピードについて来れるか。