12月4日(月)、映画『ナポレオン』を見ました。
監督は、リドリー・スコット。
1937年の生まれですから、86歳になります。
最初に、彼の作品に触れたのが、
『デュエリスト/決闘者』(1977)。
この作品で、カンヌ国際映画祭の新人賞を受賞。
その後、
『エイリアン』(1979)。
『ブレードランナー』(1982)
『ブラック・レイン』(1989)
『テルマ&ルイーズ』(1991)
『グラディエーター』(2000)
そして、最近では、
『最後の決闘裁判』(2021)
と、数々、見て来ました。
監督の名前で、その作品を見る。
そのひとりです。
で、今回は、ナポレオン・ボナパルトを主人公として。
そのナポレオンには、ホアキン・フェニックス。
物語は、1789年の『フランス革命』からはじまり。
マリー・アントワネットが処刑される有り様を、ギロチンによって、首が斬り落とされる様を、『丁寧』に描き。
その革命後の混乱。
そのなかで、どのようにしてナポレオンがのしあがり、皇帝という頂点にまでのぼりつめることが出来たか。そして、その没落。
セント・ヘレナ島での死までを、『丁寧』に、年代記として描いていきます。
そのナポレオンの公的な部分と、ジョゼフィーヌとの関係を描く私的な部分とが、縦糸横糸となって織り込まれていくのですが。
しかし、そこに浮かび上がってくる模様が、鮮明さを欠いているような。
そのために、158分が長く感じられて。
おもしろければ、180分の上映時間であろうとも、そこに濃密な時間が満ちて、かえって、短く感じられて。
しかし、冗漫という言葉が、作品を見ている間に、繰り返し浮かんで来ました。
ナポレオンが、その軍人としての優れた能力を見せた、1793年の『トゥーロンの戦い』。
そして、エルベ島を脱出して、1815年の『ワーテルローの戦い』。
6つの大規模な戦闘シーン。
そのひとつひとつは、確かに、見ごたえがあり。
しかし、それが、6つも繰り返されると、その衝撃力も減少。
それは、そこに、人間の『ドラマ』が描かれていないから。
チラシに、
「フランスを〈守る〉ための戦いが、いつしか侵略、そして〈征服〉へと向かっていく。彼を駆り立てたものは、一体何だったのか?」
そのナポレオンの内面の変化。その『ドラマ』。
それは、バネッサ・カービー演じるジョゼフィーヌとの関係においても。
その「奇妙な愛憎関係」(チラシ)
ネタバレになるので、その内容は記しませんが。
そして、ジョゼフィーヌの内面の描き方も、消化不良。
チラシについて、
「何十万人の命を奪う幾多の戦争を次々と仕掛けていく。」
とあり、
その一方で、
「1,000,000人以上が戦死」との記述。
で、作品の最後に、テロップ。
「3,000,000人以上が戦死」と。
確かに、ナポレオンの登場から、その死までを、年代記としてたどることが出来ましたが。
『皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式』という、ルーヴル美術館所蔵の、ダヴィッドの絵画があります。
縦6.29メートル、横9.29メートルの大作です。
ノートルダム大聖堂で、1804年12月におこなわれた戴冠式。
ダヴィッドは、ナポレオンの首席画家。1804年に任命。
ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748~1825)。
この映画のなか、ナポレオンの戴冠式の場で、それをスケッチする画家の姿が。
あれは、ダヴィッドかな?と。
印象に残りました。
ダヴィッドは、ナポレオンの失脚後、ダヴィッドは、1816年に、ベルギーのブリュッセルに亡命。その地で亡くなります。
我が身もふくめて、歳を重ねると、動きに、『キレ』がなくなりますが。
この作品、『丁寧』に、しかし、『平板』に。
『キレ』がなく。
期待していただけに、残念ですが。