雑誌『テアトロ』の、2023年10月号に、渡辺保の『桜の園』を観劇してのエッセイが、掲載されています。
パルコ劇場での、ショーン・ホームズ演出の『桜の園』。
繰り返し上演されている作品。
ラネーフスカヤを、原田美枝子が演じ。
この舞台、見ていません。
で、渡辺保は、
「これが私には大きな衝撃だった。」
として、
「長年見慣れた『桜の園』がこうなるのか。いい悪い、じょうず下手ではない。まるで異質なものに見えたからでありる。これが現代化なのだろうか。」
内容の詳細は、『テアトロ』を確認してください。
ここで、渡辺保が投げかけるのは、『芝居という虚構』。
で、
「近頃の社会ではこの虚構の意味がよく理解されていない。たとえば猿之助一件におけるジャーナリズムの対応を見ると、この虚構の意味が見失われている様な気がしてならない。俳優といえども一市民である以上は法律を守らなければならない。しかし彼らが虚構を生きる人間である以上、彼らの思考の全てを日常的な論理で律するには無理がある。もしそういうことだけを求めれば、全ての虚構は否定されなければならなくなるだろう。
問題は一歌舞伎俳優の問題ではない。そうなれば問題は演劇そのものに及び、演劇という虚構は死ぬしかない。虚構の中でこそ生きる現実を捕えなければ、チェーホフも死ぬ。」
全体の、一部分を切り取りました。
演劇の世界だけではなく、映像の世界、絵画や音楽の世界などなども。
その世界に生きていた人びと、その世界から生まれた作品。
よく、○○の世界の古い体質という言葉を聞きます。
で、その『古い体質』から、『芸』が生まれて。『芸』が継承されて、と。
こうした展開をしていくと、『前近代的』とか、さらには、『反道徳的』とか、犯罪の温床がそこにあるかのような批判の声が聞こえてくるようですが。
渡辺保のエッセイを読み、あれこれと考えて。
ただ、ショーン・ホームズの演出作品は、見たことがないのです。
2022 年のPARCO 劇場での『セールスマンの死』、評判になっています。
その作品で主演をつとめた段田安則を再度起用して、来年の3月、東京芸術劇場プレイハウスで、『リア王』が上演されます。
ショーン・ホームズ、毎年のように、演出作品を上演。
やはり、舞台は、自分の目で確かめないと。
もの言えば懐寒し、秋の風。