9月12日(火)12時から、国立劇場大劇場で、『妹背山婦女庭訓』の第一部を見ました。


明和9(1771 )年、竹本座での初演。


作者は、近松半二。

『奥州安達原』『本朝廿四孝』『近江源氏先陣館』、そして、遺作となった『伊賀越道中双六』など。

この近松半二の存在によって、文楽や歌舞伎が、いかに多くの優れた作品を与えられたか!


もちろん、現代に至るまでには、そこに、さらなる創意工夫が施されて。


例えば、3幕目の『吉野川』の場。

両花道を使い、右側、上手に大判事清澄の家。

左側、下手に、太宰室定高の家。

その間を流れるのが吉野川で、それは、客席の間を抜けて流れ。


近松半二得意の、左右対称。


戸部銀作の脚本での上演。


今回、『通し狂言』となっていますが、完全な『通し』ではなく。

国立劇場の建て替えによる『さよなら公演』。

ならば、『完全な』『通し』を目指してほしかったのですが。


序幕は、『春日野小松原の場』。

春日大社の境内。


太宰後室定高(時蔵)の娘の雛鳥(梅枝)と、大判事清澄(松緑)の息子の清舟(萬太郎)との出会いの場。


清舟の姿をひと目見て、すっかり、恋の虜となってしまった雛鳥。

その一途さ。

女房たちが気をきかし、清舟との、恋の取り持ち。


清舟も、その心に、火がついていて。


しかし、太宰後室と、大判事とは、領地の問題で係争中。


いわば、敵同士の間柄。


そして、ふたりの愛は、死ぬことでしか結ばれず。


というところから、『ロミオとジュリエット』になぞらえられ。 


二幕目『太宰館花渡しの場』。


権力闘争を勝ち抜き、天皇になりかわり天下を掌中におさめようと、野望むき出しの蘇我入鹿(坂東亀蔵)。

その入鹿に翻弄される太宰後室定高と、大判事清澄。

それぞれの子どもの犠牲が求められ。

定高も、清澄も、追い詰められて。


三幕目が、『吉野川の場』。

幕が開くと、舞台中央に吉野川の急流が流れ。

『滝車』がまわり。


両花道。


そして、両床の掛け合い形式。


下手の妹山は、太宰家の領地。

上手の背山は、大判事家の領地。


入鹿から難題を言い渡されて、それぞれの家に向かって、吉野川の川岸を歩く太宰後室定高と、大判事清澄。

川越しに、互いの存在に気づき。


吉野川をはさんでのやり取り。


そして、『悲劇』が。


物語が、よく出来ています。

定高と雛鳥。清澄と久我之助。その4者が、それぞれに相手のことを思い、その幸せを願い。

その美しさ。

その『純』なるものが、無残にも踏みにじられて。


歌舞伎でも、文楽でも、涙腺がズタズタに。


定高というと、すぐに歌右衛門が。

清澄といいと、吉右衛門が。


今回、定高の時蔵、清澄の松緑、さらには、雛鳥の梅枝、久我之助の萬太郎が初役で。

また、采女局の新悟、入鹿の坂東亀蔵も、初役。

これほどまでに、『初役』が多いとは!


歌舞伎の俳優の、世代交代。

それが、急速に進んで。


ちょっと、意地悪な見方をします。

吉野川は急流で、台詞の中にも、川を渡ろうとしても、その激しい流れに押し流されて、海に流され、フカの餌になる、と。

ところが、下手の太宰の家の川岸から、雛道具の駕籠に雛鳥の首を載せ、琴を船として、対岸の大判事のもとに。

つまり、急流を、直線的に渡って。

あり得ないのですが。


しかし、物語の深さゆえに、すべてを認めてしまいます。


この『船』と、『琴』。

『日本書紀』や『古事記』に、両者の繋がりをしめす伝承が。


初役の時蔵、松緑。

物語を十分に伝えてくれました。

ここから、さらに磨かれていくことと。


その時蔵。

10月4日(水)から始まった、『妹背山婦女庭訓』の第二部。

藤原鎌足を演じる予定だった菊五郎の体調がよくないために、その鎌足を。

もともとの豆腐買おむらとの二役で演じることに。


第二部は、これから見ます。





両花道。


劇場の前に、