『いつぞやは』を見ました。
9月19日(火)。シアタートラム。
10月1日(日)までの上演です。
加藤拓也の、作・演出。
シス・カンパニー公演。
直前に、俳優の変更があり、窪田正孝から、平原テツに。
窪田正孝が、第一頸椎の剥離骨折と診断されただめです。
平原テツは、加藤拓也の作品に、多く出ているので、ごくごく自然に舞台に溶け込んで。
物語の展開は、チラシによると、
「かつて一緒に活動していた劇団仲間のところに、一人の男が訪ねてきた。故郷に帰る前に顔を見にやって来たというのだが、淡々と語り出した彼の近況は……」
とあり。
さらに、
「第67回岸田國士戯曲賞受賞で注目度が高まる加藤拓也が紡ぐ緻密な会話劇」
と。
舞台は、客席後方から、飴を配りながら舞台上にあがる松坂(橋本淳)の登場ではじまります。
彼は、東京で演劇活動を続けていて、作品の脚本と演出を。
ちょうど、彼の舞台が終わり、彼は、去っていく観客に飴を配り。
そうした状況を、彼は、語ります。
で、さらに彼の語りは続いて、かつての演劇仲間を癌でうしなったこと、しかし、その友人のアカウントが残っていて、そこには、会話の履歴が残り。まるで、今も生きているかのような。
時間が撒き戻り、
松坂のもとに、久しぶりに一戸(平原テツ)が顔を出します。
演劇をやめ、エアコンの業者として働いている一戸。
故郷の青森に帰ることを決め、その挨拶もかねて、松坂の舞台を見に来たのです。
さりげない会話。
しかし、やがて一戸は、自分は大腸がんを患っていて、しかも、ステージ4であることを、『明るく』語り。
松坂は、仲間の坂本(今井隆文)に事情を話し、一戸が青森に帰る前に、かつての演劇仲間を誘い会を設けます。
集まった松坂、坂本、小久保(夏帆)、大泉(豊田エリー)。そして、一戸。
久しぶりに会った、かつての演劇仲間。
しかし、そこで交わされる遠慮のない言葉。
その言葉に、トゲがあっても、仲間だからこそ許されるやり取り。
そして、一戸の癌のことが知らされて。
一戸が、切り取った大腸を、みんなに見せて。
で、話の流れから、青森に帰る前に、みんなで、もう一度舞台を、と。
一戸は、終始『明るく』。
いじられキャラの彼は、かつてのように、みんなからいじられ。
一戸は、にこにことして、それに応じて。
そこには、実体をともなった『死』はなく。
そして、一戸は、故郷青森に。
そこで過ごす日々。
状態は、癌の転移もあり、次第に悪化して。
ある時、高校時代の同級生真奈美(鈴木杏)に会い。
バツ2で、子持ち。
しかし、地に足をつけて生きている。
一戸は、やりたいことがたくさんあることに気づき。
死が、具体的事実として迫るなか。
一戸は、手のひらの『生命線』を、必死に伸ばそうとして。
皮がむけ、血がにじみ。
その痛々しさ。
その場面が、強く強く迫って来ました。
みんなの前で『明るく』振る舞っていた、その裏側で、生きたいと願い、それでも、みんなの前では、隠していた思い。
故郷に戻り、真奈美と出会い。
『やり残した』ことに気づき。
しかし、余命宣告を受け。
しばらくして、東京にいる坂本のもとに、真奈美から電話があり、一戸の死が告げられ。
坂本から代わった松坂が、真奈美と話を続け。
号泣する坂本と、松坂。
やがて松坂は、脚本を書きはじめて。
そして、冒頭へと。
平原テツの一戸。
窪田正孝の一戸。
当然のことながら、その俳優の存在によって、その役の持っているものも違って来ます。
どちらがいい、わるいではなく、そのふたつの舞台を見てみたいと思いました。
日常会話。
そのやり取りの毒々しさに、少々、ついていけないものを感じました。
もしかすると、若い時には、同じように、相手の心にズカズカと入り込むようなやり取りをしていたのかもしれませんが。
歳を加えて、そうした生々しさを忘れてしまったのかもしれませんが。
一戸が大麻を栽培し、それを吸っての『狂乱の場』。
おもしろく。
一戸の嘔吐物もふくめて、それをもくもくと片付ける真奈美の存在。
彼女と結婚することで、一戸の、やり残したことのひとつが、解決したのです。
窪田正孝が出演するバージョンです。