『京都御所』を見終えて、次にはどこへ行こうかと、考えて。

しかも、雨。


すると、仙洞御所の北門で、当日の参観受付をしていて。


次回は、13時30分。


仙洞御所は、事前に許可を得て、見学したことがあります。

ですから、2回目。

ただ、それは、30年以上も、前の話。


で、まずは、腹ごしらえ。



で、13時30分。


幸い、雨は、一時的にやんで。


参観者休所に、ひとまず集合。


案内の方の説明を受けながらの参観です。


「仙洞御所とは、皇位を退かれた天皇(上皇、院などといわれる)の御所である。後水尾上皇の御所として江戸時代初期の寛永7年(西暦1630年)に完成した。それと同時にその北に接して東福門院(後水尾上皇の皇宮、徳川秀忠の娘和子)の女院御所も建てられた。」

ところが、火災が重なり、

嘉永7(1854)年の大火で、京都御所とともに、焼失したのを最後に、再建されないまま。

そのため、

「現在の仙洞御所には、醒花亭、又新亭の二つの茶室以外に御殿等の建物は全くなく、東側いっぱいに南北に展開する雄大な庭園が往時の面影を残しているだけである。」(パンフレット)


で、その庭園は、仙洞御所の作事奉行であった小堀遠州が寛永7(1630)年の御所の完成に引き続いて作庭したもの。

もっとも、拡張、改修により、その遺構が、わずかに残るだけ。


それでも、ここは、庭を見なくては。


最初の建物が、

『御車寄』。

「大宮御所の玄関であり、現在も天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下が入洛された際に使用されている。」(パンフレット)



『御常御殿と南庭』。
「大正年間に内部を洋風に改め、周りにガラス戸をはめている。」
「庭には紅梅・白梅、竹林、松が植樹され、『松竹梅の庭』とも伝えられている。」


『南庭』から、次の『北池』へと移動。

案内の方が確認したところ、日本人は、5、6人ほど。

で、案内は、日本語でおこなうために、外国からの参観者には、イヤホンガイドが渡されて、各自、その説明を聴くことになります。





写真を撮りながらなので、列が長くなり。

『阿古瀬淵』。

紀貫之の邸宅が、この辺りにあったと。


『北池』。

仙洞御所には、この『北池』と、『南池』があり、もともとは、別々のものでしたが、今は、つながって。
鴨川の水を引いているとのこと。




で、こちらは、『南池』。

向こうに見えるのが、『八ッ橋』。


『紅葉橋』。

列が、長く長くなって。


で、『八ッ橋』を渡ります。

『橋を八つ渡したから、八ッ橋』と、『伊勢物語』に。





桜の花の季節や、葉が赤や黄色に色づく季節には、異なる感興があるのかも知れませんが。

もっと、自分のペースで歩きたい、どこかに座って、ぼんやりと庭を見ていたいと思うのですが。

最後尾に、皇宮警察官がついていて。

また、出口では、入った人数と出て来た人数とに違いはないか、厳重なチェックが。

仙洞御所、続きます。