7月15日(土)、横浜にぎわい座。
久しぶりの横浜にぎわい座です。
コロナパンデミックのなかで、行動範囲を狭め、行動形態を変えて。
ただ、そろそろ、と。
桂米朝さんの本を読んだら、心がモゾモゾとして。
で、『再開』の最初が、
『林家正蔵独演会』。
彼の高座を選んだのは、特別に何かがあるのではなく。
チケット発売日から、日が過ぎていて、あれこれと調べると、『独演会』、ほとんど売り切れのものもあり。
『立川志らく』などは、残り1枚。
ところが、『林家正蔵』は、まだ、半分も席が埋まっておらず。
その違いに、驚くというか、納得するというか。
で、『林家正蔵独演会』に。
林家正蔵の高座、かなり、久しぶりです。
開口一番は、林家ぽん平の『狸札』。
一生懸命に。
しかし、『一生懸命』さが見え見えだと、噺の世界に入っていけなくなるのですが。
で、次が、林家正蔵の、
『五貫裁き』。
大岡裁き物。
客席は、7割の入り。
多くが、高齢者。
外の『暑気』に、体力を奪われて絞まっているのか。
居眠りしている人が、何人も何人も。
噺に、メリハリがないのです。
こじんまりと、まとまって。
そこに、『林家正蔵』の『色』が見えない。
年齢的には、今年、60歳。
しかし、高座からは、『生気』がただよって来ない。
もっともっと、『個性』を出して、他者との差別化をはかっていかないと。
とか、思いながら。
この『五貫裁き』、『一文惜しみ』とも言い。
立川談志も。
ただ、正蔵と談志とでは、噺の内容に違いが。
演じる者の、裁量により、噺の内容も変わるので。
そこがまた、おもしろいところであるのですが。
脚色と演出の違い。
仲入り。
岡大介による、カンカラの三味線を使った歌謡ショウ。
『林家』一門に入っての高座。
林家正蔵、お弟子さんが、10名以上いるとのこと。
まずは、岡晴夫の『ハワイ航路』。
タイトルが、違っているかもしれませんが。
手拍子が入り、一緒に歌う人も。
もちろん、『ご一緒にどうぞ』との呼び掛けがあってのことですが。
次が、春日八郎の『お富さん』。
沖縄歌謡になり。
さらに、明治の『演歌』となり。
その『賑やかさ』が、客席に、『生気』を与えたのか?
トリが、林家正蔵の『一文笛』。
この作品は、桂米朝の作ったもの。
1960年あたりに。
で、よく演じられる噺ですが。
林家正蔵、米朝に、演じる許しを得て。
上方の言葉を江戸言葉に変え。
米朝、かなりの高齢であったために、正蔵は、CDやビデオで仕込んで、最後に、直接、米朝の自宅でお浚いをしてもらった、と。
丁寧に、教えを受けた、と。
米朝、盛んにメモをとり。
しかも、そのメモ用紙が銀行のもので、さすが、蓄えているな。
メモを、汚い字だからと拒む米朝を説得して、もらい受け。
後で見返したら、確かに、ヘブライ語のような、読めない文字。そのなかで、はっきりと読めたのが、
『アカン』。
と。
ここの部分は、正蔵のマクラです。
これは、スリの話。
いじめられている子どもを助けようとしたことが、かえって仇となり。
米朝、最後のオチの一言がまずあり、そこから、物語が生まれたと。
スリが、自らの行いを恥じ、その指を2本、切り落とした。
しかし。
いろいろとあって。
最後のオチ。
『実は、わい、ギッチョやねん。』
20分ほどの噺。
それが、テキパキと。
観客の、眠気もなく。
で、終わって、幕が降りるのを、途中で、あげさせて。
言い間違いなどもあり、『どうも、すいません』
と頭をさげて。
『どうも、すいません』は、父親林家三平以来の、林家の伝統?
言い淀み、言い間違い、それを『謝罪』する『誠実さ』。
しかし、それが、芸を狭めているのではないか、思うのですが。
祖父が7代目林家正蔵(1894~1949)。
父親が爆笑王と呼ばれた、初代林家三平(1925~1980)。
林家正蔵というと、8代目の正蔵(18951~982)が、まずは浮かんで。
海老名家から、一代限りという約束で、『林家正蔵』の名跡を得て。
林家三平の亡くなった1980年に、その名前を返上し、『彦六』となった、8代目。
その、苦虫を噛み潰したような顔、今でも記憶しています。
芝居噺や怪談噺が得意で。
で、その『林家正蔵』の名前の重たさを知っているので、今の正蔵が、2005年に、こぶ平から林家正蔵を襲名した時には、確かに、血筋からは正統性があるのですが、驚きました。
海老名家。
この林家正蔵の長男がたま平、次男がぽん平。
『開口一番』で、『狸札』を語った、あの、ぽん平、です。
26歳。