6月8日(木)、歌舞伎座で、『六月大歌舞伎』の昼の部を見ました。


最初の演目は、『傾城反魂香』。


近松門左衛門の作で、宝永5(1708)年、竹本座での初演。

全3段の時代物浄瑠璃。


しかし、現在は、その近松門左衛門作と、吉田冠子、三好松洛らによる改作『名筆傾城鑑』を踏まえた台本で上演されます。

『名筆傾城鑑』は、宝暦2(1752)年の初演です。


もっとも、そこからさらに、それぞれの工夫が施されて。


今回の上演は、『三代猿之助四十八撰』のひとつ。


そのため、

「近松門左衛門 作

石川耕二 監修

市川猿翁 補綴・演出」

によるもの。


で、今回は、『土佐将監閑居の場』に続いて、『浮世又平住家の場』が上演されます。

1970(昭和45)年の『春秋会』以来、53年ぶりの上演。

見たことのない場面です。


主人公の浮世又平、後に土佐又平光起を、市川中車が。

本格的古典作品に、主役として、初挑戦。

で、女房おとくを、猿之助。の予定が、壱太郎に変更となり。


中車、その演技力には定評があり、この舞台でも、吃音のために、その思いを、うまく相手に伝えられずに苛立つところなど、リアル、説得力がありました。


壱太郎は、すでに経験したことのある役でもあり、又平を支える世話女房を巧みに演じて。


土佐将監光信を、歌六。こうした『抑え』となる役、ますます歌六の存在が求められることになる、と。


弟弟子の修理之助正澄、後に土佐光澄を、團子。


『将監閑居』、繰り返し、繰り返し上演され。

多くの演者の舞台を見て来ました。


中車も、この又平が持ち役になっていくことに。


続く『浮世又平住家の場』。

初めて見ました。


描かれた大津絵。

そこに描かれた人物が、絵から抜け出して、悪人を追い払うというもの。

次々に現れる、大津絵のなかの人物。

その趣向のおもしろさ。


それにしても、なぜ、『傾城反魂香』という題名なのか。

その場面の上演が絶えていて。


近松門左衛門の作品世界は、舞台上からではなく、全集の文字を通してしか、つかめないのです。


次の演目は、『児雷也』。

多くの先行する作品を、河竹黙阿弥が踏まえて、『児雷也豪傑譚話』として、嘉永5(1852)年に、河原崎座で初演されたもの。


これも、長い長い物語。

今回は、児雷也(芝翫)と、越路実は綱手(孝太郎)との出会い。

お互いの二の腕の痣。そのことから、許嫁であることが分かり。


で、児雷也は、父親の死のいきさつを知り、敵討ちを志し。

仙素道人(松江)から、妖術を教えられ。


第一場『山中一ツ家の場』

越後の国、妙香山の山奥にある藁葺き屋根の家。道に迷った児雷也が、一夜の宿を求めて。

そこに暮らしていたのは、越路。

美しい越路に、児雷也は、心を奪われ。

で、いろいろとあって、といっても、そんなにはないのですが、許嫁であることがわかり。

児雷也の芝翫。態度・物腰、その風体が立派過ぎて。

芝翫、初役。


第二場『山中術譲りの場』

仙素道人(松江)から、児雷也は、父の無念の最期を聞かされ。

父は、筑紫潟益城郡の城主尾形弘澄。しかし、悪だくみにより討ち死に。

児雷也が、3歳の時のこと。

で、児雷也は、

「成人した今こそ父の仇を討って尾形家を再興したい」(『筋書』)


児雷也こと、尾形弘行は、成人したばかりの年頃なのです。

しかし、芝翫は、堂々として。

初々しさがなくて。


で、仙素道人から、妖術を伝授されて。

蝦蟇(がま)が現れて。

この蝦蟇、迫力不足。予算その他の関係で、仕方のないことなのでしょうが。

現代の、大がかりの仕掛けを見慣れた者にとっては、舞台映えがしないというか。

そのあたりが、歌舞伎の『演出』を難しくしているのですが。


で、第三場『藤棚だんまりの場』


児雷也。

そこに、山賊夜叉五郎(松緑)、高砂勇美之助(橋之助)が現れて。


暗闇のなか、3人の探り合い。

それを、明るい照明のなかで、見るわけですが。


ひいきの俳優がいる観客ならば、その登場に、胸おどらせるのでしょうが。

物語の展開のおもしろさに、一番の関心のある者としては、物語の展開という背景を持たずに登場する人物たちに、困惑するばかり。

もちろん、原作にあたり、その『背景』を事前学習しておくべきなのでしょうが。


暗闇であることを想像し、登場人物たちの人間関係を想像する。

しかし、この『だんまり』という演出、苦手です。

おもしろさを感じられないのです。


最後の演目が、『扇獅子』。


もともとは、『夕顔棚』だったのですが、左團次さんが亡くなって、演目変更。


『筋書』の『解説とみどころ』に、

「書家として明治から大正に活躍、また、歌舞伎や邦楽の造詣にも深かった永井素岳の作詞、二世清元梅吉の作曲によるこの曲は、本名題を『扇獅子富貴の英』といい、明治三十(1897)年頃に日本橋の芸者衆の会のために作られました。」

とあります。


『筋書』の『上演記録』を見ると、3回の上演記録が。

1982年1月の歌舞伎座。

鳶頭を、今の猿翁(3代目猿之助)と、段四郎。

芸者を、坂田藤十郎(当時は扇雀)と、東蔵。

手古舞を、雀右衛門(当時は芝雀)、門之助(当時は小米)と、錦之助(当時は信二郎)。

2017年2月の歌舞伎座。

鳶頭を、梅玉。

芸者を、雀右衛門。


どちらも、記憶に残っていないのですが。


で、今回は、6人の芸者が登場して。


壱太郎、新悟、児太郎が現れて。


続いて、種之助、米吉が加わって。


そして、最後に、福助が、元気な姿で登場。

座ったまま、片手だけで。

それでも、そのふくよかな姿を見ることが出来て、満足。


やがて芸者衆(福助以外)は、獅子の姿に。

赤毛の毛ぶり。

何しろ、若い、エネルギーにあふれた者たち。

ブルンブルンと振り回して。

その勢い。

勢いだけ?

観客は、大喜びで、『振り回す』数の多さに、拍手して。