国立劇場小劇場での、第224 回文楽公演。
1部、2部を見ました。
延享3(1746)年8月、竹本座での初演。
竹田出雲、三好松洛、並木千柳、竹田小出雲による合作。
大評判となり。
その彼らによって、『義経千本桜』(1747)、『仮名手本忠臣蔵』(1748)が次々と上演されて。
で、『菅原伝授手習鑑』です。
藤原時平との政治的対立。それに敗れて、太宰府へ配流となった菅原道真。
その史実を背景に、道真に関する伝説や巷説、そこに天神信仰を加えて。さらに、三つ子兄弟の物語をない交ぜにして。
大きな、豊かな大河。
そのため、5段すべてを1日で上演するとなると、9時間を越えてしまうのです。
今回は、5月に初段と2段目。
9月に、3段目から5段目。
初代国立劇場の閉場を控えての、全段通し上演なのです。
そこで、1972(昭和47)年の、国立劇場での全段通し上演以来、51年ぶりとなる段も。
『菅原伝授手習鑑』の通し公演。
1部は、初段。『大内の段』、『加茂堤の段』、『筆法伝授の段』、『築地の段』。
2部は、2段目。『道行詞の甘替』、『安井汐待の段』、『杖折檻の段』、『東天紅の段』、『宿彌太郎詮議の段』、『丞相名残の段』。
で、初段。
『大内の段』。
「時代物の浄瑠璃の初段のうち、冒頭は“大序(だいじょ)”と呼ばれ、若手の太夫・三味線が、御簾内で」(『プログラム』の『鑑賞ガイド1』から)
この段があることで、左大臣藤原時平と右菅原道真との対立が、その人物の位置関係からも、明確になります。
渤海国からの使者の訪問。
延喜帝の絵姿が必要になるのですが、帝は病。そこで、時平は、自らが身代わりになって絵姿を描かせようと。時平の野心。
道真は、それを諌め、帝の弟の斎世親王を代わりとするように進言。
帝は、道真の進言を受け入れて。
続く『加茂堤の段』。
当時、三つ子の誕生が話題になっていて、作者たちは、さっそく、物語の中に取り入れて。
梅王丸、松王丸、桜丸。
梅王丸は、道真に仕え、松王丸は、時平。桜丸は、斎世親王に。
「同じ胤腹一時に生まれて、年も同い年。どれが兄とも弟とも梅と松とに桜丸、三幅対の車曳き、」(『床本』)
道真が太宰府で詠んだとされる
梅は飛び桜は枯るる世の中に なにとて松のつれなかるらむ
を、取り込んで。
しかも、この和歌が、物語の展開に重要な役割を果たし。4段目ですが。
その三つ子が、登場します。
所は、加茂堤。
斎世親王と、道真の娘苅屋姫との逢瀬。
それを手引きしたのが、桜丸と、その女房の八重。
しかし、人目を偲ぶ逢瀬が、見つかりそうになり。
親王と姫は、駆け落ちしてしまい。
桜丸の大失態。
その責任を、どのように取るのか?
『筆法伝授の段』。
勅命により、その筆法を弟子に伝授することになった道真は、精進潔斎のために物忌みの最中。
古参の弟子の左中弁希世は、自分が選ばれるものだと思い、屋敷の中でも我が物顔。
このあたり、滑稽な展開。
そこに、武部源蔵と戸浪の夫婦が訪れて。
ふたりは、道真の屋敷での『職場恋愛』。
それは、不義密通の行為。そのため、夫婦は勘当されていて。
「夫婦が二世の契りより、三世のご恩わきまえぬ、不義より御所を追ひ出され、寒い暮らしを素浪人尾羽打ち枯れし武部夫婦、」(『床本』)
それが、突然の道真からの呼び出し。
道真は、源蔵に『菅家の筆法』を伝授します。
源蔵は、筆法の伝授よりも、勘当を解いてほしいと願うのですが、許されず。
ここから、『菅原伝授』の題名が。
『築地の段』。
参内した道真は、流罪を言い渡され。
斎世親王と苅屋姫の駆け落ちは、親王を帝位につけ、姫を后に立てようとする策謀とされたのです。
屋敷に戻った道真は、そのまま閉門の身。
道真の妻子にも危険が及ぶことをおそれ、源蔵は、若君菅秀才を屋敷から脱出させようと、梅王丸と協力して。
で、無事に、菅秀才は、源蔵夫婦に守られて。
で、『寺子屋』へと続いていくのです。
しかし、この4段目の『寺子屋の段』は、次の、8月31日からの公演までお預け。
太夫も三味線も、人形遣いも、総力戦。
1部。初段。
『大内の段』 薫、聖、碩、亘、小住。 清方、清允、燕二郎、錦吾。
『加茂堤の段』 桜丸・希、松王と清貫・津國、梅王と斎世・南都、八重と苅屋姫・咲寿。 團吾。
『筆法伝授の段』口 亘 清公。
奥 織 燕三。
『築地の段』 靖 清馗。
人形役割
菅丞相(大内)を玉翔。
左大臣を勘次郎。
斎世親王を玉勢。
舎人梅王丸を文哉。
舎人松王丸を玉路。
舎人桜丸を玉佳。
苅屋姫を簑紫郎。
女房八重を紋臣。
三善清貫を玉誉。
左中弁希世を勘市。
菅秀才を豊松清之助。
武部源蔵を玉志。
女房戸浪を簑一郎。
菅丞相(筆法伝授より)を玉男。
その他。