5月16日(火)、国立劇場で、前進座公演『魚屋宗五郎』『風薫隼町賑』を見ました。


『魚屋宗五郎』。本名題を『新皿屋鋪月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)』。


『播州皿屋敷』が下敷きとなっています。


河竹黙阿弥の作。


1883(明治16)年5月、市村座初演。


「河竹黙阿弥作『新皿屋鋪月雨暈』から二場を独立させた作品。『弁天堂の場』と『魚屋内の場』で構成するのが前進座上演の特徴。中村翫右衛門、梅之助が得意とし、今日まで上演870回を数えます。」(チラシ)


この作品、歌舞伎でも、よく上演されます。

物語の展開がわかりやすく、また、宗五郎が酒に酔っていく姿が俳優の見せどころとなっていて、観客を引き込んでいきます。


ただ、歌舞伎では、一幕の『弁天堂の場』を省くことが多く、逆に、三幕の『磯部屋敷の場』を出します。


なぜ、前進座公演では、一幕を上演し、三幕を省くのか。


プログラムの、上村以和於の記した『前進座の魚屋宗五郎 その過去・現在と未来』のなかに、

「酔いに任せて(磯部屋敷に)駆け込んだものの、酔いが醒めて見ると気が折れたうえに、磯部候に自ら手をついて詫びられると一も二もなく受け容れてしまうことへの疑問がその理由かと思われる。」

とあります。


前進座に確認したわけではないので、そこには、異なる見解があるかも知れませんが、この上村説には、説得力があります。


魚屋の宗五郎。一家の経済的危機に、妹のおつたが、旗本の磯部主計介のもとに「妾奉公」。そのことで、経済的には救われて。

ところが、磯部の愛妾となったおつたが、あらぬ不義密通をでっち上げられ、それを信じた磯部は、おつたを拷問のうえ、手討にしてしまう。


一幕は、その不義密通の疑いがかけられる経緯。

二幕が、おつたを喪った悲しみにくれる宗五郎一家を描いて。


「家族を理不尽に死で喪った人間の破れんばかりの感情」

「酔い切った宗五郎の中に抑えきれない憤怒が沸き上がり」

(チラシ)


二幕が、絶っていた酒を、悲しみや怒りの胸のつかえのために、再び飲みはじめて。もともとが酒乱の宗五郎。さらに飲ませろと暴れだし。それを止めようとして振り回される一家の人たち。


ここで難しいのが、胸の奥に抑えこもうとしていた怒り、憤りが、酒を重ねるごとに、抑えきれなくなっていく、その過程をしっかりと演じること。

相手は、旗本。しかも、経済的に恩義のある相手。

絶対的な身分制のなかに押し込められている身には、どうすることも出来ない。殺されようとも、黙ってそれを受け入れるしかない。

それを十分にわかっているからこそ、心の内へ内へと押し込んで。


ただ単に、酒乱の男が、久しぶりに大酒飲んで、暴れているのではないのです。


観客の側も、その『底』にあるものを見ていかないと、滑稽な場面で終わってしまいます。


宗五郎を藤川矢之輔。さすが、です。

女房のおはまを、河原崎國太郎。

父親太兵衛を、山崎辰三郎。


若い者三吉を、中嶋宏太郎。


そして、演じられない三幕。


磯部主計介は、手をついて詫びるのですが。

それを、畏れ多いことだと、身をひれ伏し、かえってへつらってしまう宗五郎。

絶対的な身分制のもと、権力を握る者と、隷属する者との立場は、少しも揺らがないのです。

で、だから前進座は、その幕を上演したくないのではないか、と。


ただ、本来なら、旗本屋敷に乗り込んでの狼藉。その場で、殺されても当然。

しかし、そうはならず、自らの『非』を認め、謝罪した磯部。

宗五郎の『思い』が理解され。

もちろん、お芝居という、非現実空間だから起こったこと。

あるいは、明治の『ご一新』があったから。

もっとも、これが、明治新政府の高官が相手であったならば、どのような理不尽な事柄であっても、押し通されてしまったのではないかと思うのですが。


宗五郎が、無事であったことに、観客として、ホットし。

磯部と、ある種の『和解』が出来たことに、観客として、ホットし。

心持ちよく、劇場をあとにすることが出来るのではないでしょうか。

その時には、おつたという、ひとりの人間の死が、遠いものになっていて。


二幕の終わり、酒の勢いにより、胸奥に押し込めていた『憤怒』が爆発し、磯部屋敷に、『殴り込み』をかけようと、花道を、必死の形相で駆け抜けていく。

その、『名もなき者』の、エネルギー。


そこで、幕。


一幕の『弁天堂の場』は、若手登用。

しかし、まだまだ、みずっぽくて。

今後に期待。


休憩をはさんで。


『風薫隼町賑(かぜかおるはやぶさのにぎわい)』


国立劇場は、この秋から建て替え工事に入り。

前進座の、国立劇場公演も、しばしのお別れ。

その『お名残のご挨拶』。


舞台、背景は国立劇場の正面。

平河天満宮も描かれていて。


『舞踊かっぽれ』


日替わりゲスト、この日は、桂米團治。

彼の独演会などで、その高座に接していますが。

どうも、まだ、彼の背後に、父親米朝さんの姿が。それは、こちら側の問題であるのですが。

注目し続けています。


そして、明るく、明るく、幕となり。






舞台の終わり。
撮影タイムとなり。
大いに宣伝してくださいと。

スマホの電源をオフにしていると、まず、バッグから取り出し。電源を入れるという作業。
しかし、なかなか立ち上がらない。
その焦り。

間に合いました。