5月22日(月)、文学座のアトリエで、『地獄のオルフェウス』を見ました。


テネシー・ウィリアムズ(1911~1983)の作。


訳 広田敦郎。

演出 松本祐子。


途中、10分、15分の2回の休憩を入れて、3時間の作品。

もっとも、長さは、まったく感じませんでしたが。


1957年、ブロードウェイ初演。

1961年、文学座による日本初演。

文学座は、1979年に、杉村春子、江守徹、太地喜和子たちにより、再演を。


2015年には、シアターコクーンで、演出にイギリスからフィリップ・ブーリンを招き、大竹しのぶ、三浦春馬、水沢あけみ、西尾まり、三田和代らにより、上演されています。


アメリカ南部の小さな田舎町。その晩冬から初春にかけて。

レイディの営む洋品雑貨店。

夫のジェイブは、癌の病、医師からも見放されて戻って来ます。


そこに、蛇皮のジャケットに、ギターをかかえて、ヴァルがあらわれ。


因習と偏見。それにともなう差別。そして、吹き荒れる『暴力』。


かつて父親の経営していたワインガーデンが、黒人に酒を売ったということで、 襲撃され、火を放たれ、その燃え盛る炎のなかで殺された。その忌まわしい過去を持つレイディ。

しかも、財産をすべて失ったため、ジェイブに買われるようにして結婚したレイディ。  

その背景にあるのが、レイディの父親が、イタリアからの移民だったこと。


夫に支配されている生活。

濃密な人間関係の絡み合っている町。

レイディは、自由を求め、もがいて。


そこに現れた、蛇皮のジャケットを着て、ギターをかかえたヴァル。


もともと、濃密であった人間関係が、ヴァルの登場により、さらに複雑に。

『色男』で、しかも、『よそ者』のヴァルに対する攻撃。

地獄から、レイディを救いだそうとしたヴァルは。


文学座のアトリエという、閉ざされた、狭い空間。

しかも、A列17番という、座席。そのうえ、パイプ椅子です。

物語の世界に、ぐいぐいとひきこまれて。

くたくたに疲れました。


ただ、テネシー・ウィリアムズの作品。

『ガラスの動物園』(1945)。

『欲望という名の電車』(1947)。

にしても、作品の持つ圧倒的な力に、組み敷かれ、感動しながらも、どうも好きになれないのです。

心が、解放されないのです。


今回の文学座公演も、俳優たちの、それぞれの力がぶつかり合い、激しいエネルギーを生み、客席を覆いつくして。

信濃町駅への道を、足どり重く歩きながら、作品のなかに『希望』を探しても、どこにもなく。


因習と偏見。

そして、暴力。

『ことば』で解決することの不可能な世界。


いい作品となっていただけに、心が重く。








A列の17番の席でした。