1月16日(月)、『壽初春大歌舞伎』第一部を見ました。
三部制に戻って、その第一部。
最初の演目は、『卯春歌舞伎草紙』。
『うどしのはる かぶきぞうし』と読みます。
竹柴徳太朗の脚本。
藤間勘十郎の振付。
「都で名声を得た阿国が故郷に錦を飾り、村人と共に踊ることになり、阿国の一座の者と村人が稽古をしている場面から始まります。そこへかぶき者の佐渡嶋の左源太と右源太が現れ、皆の所望に応じて披露する踊りが最初のみどころ。ここへ村長が迎えにやって来て、阿国と山三の許へ向うように促します。
場面が変わり、阿国と山三をはじめ、女歌舞伎や若衆が揃って見せる踊りは、文字通り、歌舞伎草紙というに相応しい華やかなみどころです。」
(『筋書』の『解説とみどころ』)
で、「新春を祝う祝儀気分に溢れた一幕をご堪能ください。」と、続きます。
名古屋山三を、猿之助。
出雲の阿国を、七之助。
佐渡嶋左源太を、愛之助。
佐渡嶋右源太を、勘九郎。
総勢40人近くが、舞台にあがり。
『豪華絢爛』
出雲国宍道湖の近く。
出雲の阿国一座の者に教わりながら、一座の者と、村人が踊り。
左源太と右源太が現れて、ふたりが、踊りを披露し。
さらに、出雲の阿国と、名古屋山三があらわれて。
さらにさらに、踊りの輪がひろがり。
とにかく、初春にふさわしく、華やかな舞台。
登場する者たちも、明るく。そして、楽しく踊りに興じて。
それが、客席にも伝わり。
次の演目は、『弁天娘女男白浪』(べんてんむむすめ めおとのしらなみ)。
本名題は、『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなのにしきえ)。
河竹黙阿弥の作。
文久2(1862)年3月、市村座での初演。
全5幕。長い物語ですが、今回のように、『浜松屋見世先の場』、『稲瀬川勢揃いの場』のみの上演では、『弁天娘女男白浪』を外題とします。
『浜松屋見世先の場』。
武家の娘に化けた弁天小僧菊之助と、その若党に化けた南郷力丸。
鎌倉雪の下にある呉服屋浜松屋に、そのふたりがやって来て、ゆすりを。
しかし、ばれて、弁天小僧が、
「知らざぁ言って聞かせやしょう」と、有名な台詞を。
黙阿弥の、七五調の台詞。まさに、聞きどころ。
人気狂言であり、長年にわたって磨き上げられた台詞の数々。
しかし、こまかな手順が定められていて、台詞を言いながら、ひとつひとつこなしていく難しさ。
台詞に気がいくと、手順がおろそかになり。
手順を気にすると、台詞がおろそかに。
弁天を、愛之助、歌舞伎座の舞台ではじめて演じ。
(永楽館や、南座では、演じているとのこと)
ただ、どことなく違和感があるのは、江戸言葉とは異なる『重たさ』のようなものを感じて。歯切れのよさが、いまひとつ聞こえて来ず。
それは、南郷力丸を演じた勘九郎の、軽みのある台詞まわしと、比較してしまうため。
もちろん、見た目の良さ。
これからの楽しみに。
ふたりが、『偽者』と暴くのが、玉島逸当、実は、日本駄右衛門。
芝翫が演じて。
で、そこには、『裏』があるのですが。
浜松屋の主人幸兵衛を、東蔵。
その息子宗之助を、歌之助。
この後の場があると、弁天小僧、日本駄右衛門、幸兵衛、宗之助には、ある、驚く秘密があり、それがわかるのですが。
あまりにも意外で、ご都合主義で、客席からは笑いが。
そのためか、ほとんど、上演されませんが。
そもそも長い物語で、五人男の出会いも省略。
この後の『稲瀬川勢揃いの場』の後、五人男がどうなったか、その末路も演じられず。
やはり、華やかなところで、終わりたいのでしょうか。
五人男の『最期』、舞台が重くなると?
しかし、そこはそれ、華やかな『最期』なのですが。
で、『稲瀬川勢揃いの場』。
『白浪五人男』の登場です。
花道に、五人組。
日本駄右衛門(芝翫)、弁天小僧菊之助(愛之助)、忠信利平(猿之助)、赤星十三郎(七之助)、南郷力丸(勘九郎)。
次々と名乗りをあげて。
舞台が、パアッーと明るくなります。
それにしても、歌舞伎の世界の世代交代。
そのことを思うにつけ、18代目の勘三郎と、10代目の三津五郎を失ったことの大きさを、あらためて。
閑話休題。
黙阿弥の台詞。
いかにも、音楽的。耳に心地よく。
そこに、大勢の捕手があらわれて。
で、稲瀬川の光景。
揃いの小袖。
『志ら浪』と書かれた傘。
そうした視覚的美しさ。
それに加えて、七五調の台詞。まるで、歌い上げるように。
そうした聴覚的心地よさ。
何度見ても、魅了されます。
1月の歌舞伎座は、1部、2部、3部に、河竹黙阿弥の作品が並びます。
1893(明治26)年1月22日に亡くなった黙阿弥。
その没後130年。
そこで、黙阿弥作品を並べて。
作者生活50年。
作品360編。
これぞ、『歌舞伎』。