俳優座劇場プロデュース公演『夜の来訪者』を、3月9日(水)、俳優座劇場で見ました。
J・B・プリーストリィ(1894~1984)の作。
初演は、1945年。
日本でも、繰り返し上演されて。
この俳優座劇場プロデュースの場合は、
「1991年に初演して16年間、毎年のように再演を繰り返し、ほぼ全国を回っていた」(パンフレットの、演出家西川信廣の言葉)
その再演の舞台。
「再演にあたって、キャスト、スタッフを一新した。」(前掲、演出家の言葉)とのことです。
横浜演劇鑑賞協会の観劇会を調べると、1996年に、俳優座プロデュース公演として、上演しています。
さらに、1996年には、俳優座の公演としても、上演。
どちらも、入会前の観劇会なので、見てはいませんが。
で、今回の公演にも、各地の演劇鑑賞団体の方たちが、遠路はるばると、来ていました。
演出家の、『ご観劇後にお読みください』を読むと、
原作は、「冒頭のト書きで、時は1912春とはっきり指定している。1912年と言えば第一次世界大戦前夜、日本では大正元年、つまりこの芝居の世界は初演時の現代ではなくて“すこしむかし”なのである。」
で、脚本の八木柊一郎は、
「当時より51年前の1940(昭和15)年に設定した。」
ということは、1991年の初演は、「現代劇」として、上演したということなのでしょうか。
しかし、今回、設定を1940年にしたことにより、舞台の背景に、奥行きが生まれ、舞台上の「現在」に、「未来」が加わり。
というのも、翌年、真珠湾攻撃があり、日本は、さらなる泥沼に踏み込んでいくのです。
舞台は、企業を経営し、羽振りのいい倉持幸之助(柴田義之)の居間。
娘沙千子(尾身美詞)の婚約者、黒須辰男(脇田康弘)を迎えて、一家団欒の夜。
そこに、影山と名乗る警部(瀬戸口郁)が訪れ。
幸之助、娘の沙千子、黒須、幸之助の妻のゆき(古坂るみ子)、息子の浩一郎(深堀啓太朗)を、取り調べていく。
ある女性が、服毒自殺した。
「彼女はなぜ死んだのか。」
彼女の死に、それぞれが、どのように関わったか。
それぞれの胸の内にふくらむ、『罪』の意識。
「疑問を投げかけ影山は去るが、残された家族のドラマはそこから始まるのだった……。」(チラシから)
で、どうなるのか、は、「社会派ミステリー」、謎のままにしておきます。
「影山はある女の死を告げ、家族に質問を重ねていく。」(チラシから。)
その質問と、それに対する答え。
「言葉」のやり取り。
「論理」の展開。
その、おもしろさ。
それを、楽しみながら。
ただ、思うのは、「影山」という存在を考える時に、彼はいったい、誰か、ということ。
で、思うのは、これが、宗教的基盤、キリスト教ですが、その基盤を持つ人々であるならば、ごくごく、自然に受け入れられたのではないか。
「罪」の意識。
すべての人間は、生まれながらに、「罪」を背負い。
「原罪」。
物語の設定、展開をおもしろいと思いながら、影山が、家族に混乱を残して去ったあと、
影山って、誰だったのか?
答えのない問いを、繰り返すしかない。のです。