10月12日(火)、国立劇場大劇場で、第324回公演、『伊勢音頭恋寝刃』を見ました。


通し狂言ということで、

序幕 第一場伊勢街道相の山の場。

   第二場妙見町宿屋の場。

   第三場野道追駆けの場。

   第四場野原地蔵前の場。

   第五場二見ヶ浦の場。

二幕目第一場古市油屋店先の場。

   第二場同   奥庭の場。


前回の、通しでの上演は、

2015(平成27)年10月以来。


その時は、1962(昭和37)年7月の歌舞伎座公演以来、53年ぶりとなる「太々講」も取り上げての上演だったのですが。

今回は、なし。

そこがあると、青江下坂と、貢との関係が、よくわかるのですが。

貢の、祖父と父を、死に追いやった青江下坂。

この刀、貢との因縁が深いのです。

しかも、不幸をもたらすもの。


また、原作の大詰の『福岡貢切腹の場』は、上演しません。


作者は、近松徳三(1751~1810)。

寛政8(1796)年7月、大坂の角の芝居での初演。


その年の5月4日、古市の遊廓油屋で、医師孫福斎(27歳)による、9人斬りの殺傷事件があり、それをもとに。

近松徳三、3日で書き上げた、と言われていますが。


鎌倉時代の設定にし、主人公も、医師ではなく、伊勢神宮の御師、福岡貢に。


「阿波国の大名家のお家騒動を背景に、名刀『青江下坂』の詮議に、斎をモデルにした主人公・福岡貢と油屋の遊女お紺との恋を絡めて」(プログラムの解説)物語が展開。


その福岡貢を、梅玉。

もとは、武士の子。しかし、家が没落して、御師の養子となり。

それが、主家筋への忠義、恩義のために、大事な刀「青江下坂」と、その折紙(鑑定書)の探索に駆けずり回り。

その真面目さ、誠実さ。

主人筋の今田万次郎(扇雀)が、良いとこ育ちのお坊っちゃんで、欲望にだらしない、いい加減な、しかし、どこか憎めない男。彼のために、懸命に。

女性には、モテモテで。

思わず振り向いてしまう、いい男。優男。


梅玉に、よくはまった役柄。


油屋で、海千山千の仲居の万野(時蔵)の企みに、恥をかかされ、次第に、怒りが、噴き出して。

その心理の動き。

想いを通わせるお紺(梅枝)からの、愛想づかし。もちろん、それは、貢のために、偽りの。しかし、貢は、心破れて。

そして、爆発。

しかも、妖刀青江下坂に、魂を奪われて。

刀の導くままに、次々に、人を殺め。

その展開が、とてもリアル。納得、理解出来るのです。


油屋店先の場、奥庭の場が、抜き出されて上演されることが多いのですが、今回のように、通しでの上演だと、登場人物たちの関係性がわかり、青江下坂という刀と、その折紙の存在の重要性も伝わります。


もっとも、「通し」と称していても、もともとの作品の「通し」ではなく、抜き出しての「通し」なのですが。

言い方が、おかしいのですが。


たとえば、もともとの作品では、大詰、貢は、青江下坂を失ったと思い込み、その責任を負って、腹を切るのです。

しかし、腹に突き刺した刀が、青江下坂だと知らされ、刀を、腹から抜いて確認して。

それが、本物だと。

そのうえ、腹に突き刺したものの、急所を外していて。(大詰  福岡貢切腹の場)

ただ、この場面を、実際の舞台で見たことはありません。


で、現行の舞台では、奥庭の場で、貢の手にした刀が、青江下坂であったと、貢が確認するという展開に。

そうしないと、「青江下坂」「折紙」問題が、解決しないのです。


万野、時蔵。


印象に残っている万野は、歌右衛門。

憎々しいなかにも、どこか、かわいらしさがあって。

梅玉が、福助から、梅玉を襲名した公演。

1992(平成4)年4月の歌舞伎座。

お紺は、梅幸。

万次郎は、藤十郎(その時は、鴈治郎でしたが)。

喜助が、吉右衛門。

お鹿が、富十郎。

お岸が、田之助。

なんとも、豪華な顔ぶれ。

歌右衛門の、「権勢」。


豪華と言えば、

十七世勘三郎27回忌。

十八世勘三郎の3回忌。

1998(平成10)年10月の歌舞伎座。

勘九郎が、貢を。

七之助が、お紺。

そのときの万野を、玉三郎が。

喜助を、仁左衛門。

万次郎は、梅玉。

勘三郎が、もしも生きていたら、どの役を演じていたか。貢か、万野か。

貢、お紺、喜助、お鹿は、演じていて。しかし、万野は、ないのではないでしょうか。


万野、憎まれ役ですが、貢の心に、火をつけて、苛立たせ、怒らせ、それを爆発させるという、とても重要な役。

また、遣り甲斐のある役。

おもしろい役名のです。


今回は、時蔵。

展開における、扇の要になっていました。


国立劇場では、どうしても、役者の顔ぶれが揃わず。

自前の役者を持たない、国立劇場。

たしかに、養成機関としての役割は、果たしているのでしょうが。