9月8日(水)、こまつ座の『母と暮らせば』を、見ました。
横浜演劇鑑賞協会の、第306回観劇会。
『母と暮らせば』は、
井上ひさしの原案。
それを、畑澤聖悟が脚本化。
栗山民也が演出。
井上ひさしは、
広島を描いた『父と暮らせば』。
沖縄を描いた『木の下の軍隊』。
長崎を描いた『母と暮らせば』。
を、『戦後“命”の三部作』として構想していたのですが。
『父と暮らせば』は、1994年9月、紀伊國屋ホールで、初演。
鵜山仁の演出。
すまけい、梅沢昌代による、ふたり芝居。
いい舞台でした。
すまけいも、梅沢昌代も、力ある俳優。ふたりの「声」、耳に残っています。
再演を重ねて、今年も、こまつ座、上演をしています。
山崎一と、伊勢佳世で。
映画化もされ、2004年に、黒木和雄監督により、原田芳雄、宮沢りえで。
ところが、井上ひさし、2010年4月9日に、亡くなって。
『木の下の軍隊』は、蓬莱竜太が、引き継ぎ。
といっても、蓬莱竜太に渡されたのは、題名と、設定と、2行のメモ書きだけだった、と。
こまつ座と、ホリプロとの共同制作。
2013年4月、シアターコクーンで、初演。
演出は、栗山民也。
藤原竜也、山西惇、片平なぎさ。
再演は、2016年、こまつ座版として、蓬莱竜太が書き直し。
松下洸平、山西惇、普天間かおり。
松下洸平を知ったのは、この舞台。
で、『母と暮らせば』、です。
こちらは、山田洋次の、監督、脚本作品として、世に出ました。
平松恵美子の、共同脚本。
2015年12月公開。
「ふたり芝居」を基本として、
母の福原伸子を、吉永小百合。
息子の浩二を、二宮和也。
舞台の『母と暮らせば』は、
2018年10月、こまつ座第124回公演として、初演。
畑澤聖悟の脚本。
栗山民也の演出。
母の福原伸子を、富田靖子。
息子の浩二を、松下洸平。
舞台と、映画とでは、違いがあります。
舞台が、福原家にとどまるのに対して、映画は、空間を移動します。
登場人物も、舞台は、ふたりだけ。その他の人物は、ふたりの会話のなかにとどまるのに対して、映画は、浩二の恋人町子を登場させ、黒木華が演じ、その結婚相手となる黒田を、浅野忠信が。
浅野忠信、映画の『父と暮らせば』にも、出ていて。
他に、「上海のおじさん」として、加藤健一も、登場して。
舞台の空間と、映画の空間との違いが。
しかし、もっとも大きな違いは、映画において、伸子は、その命が尽き、教会での葬儀の場面となり、浩二とともに、天に召されていくこと。
舞台は、生きることに絶望し、死へと、歩みを進める伸子を、浩二がとめ。
母が生きていくことを、切望し。
そのために、浩二は、幽霊となって、母の前に現れた。
で、どちらが。
伸子が、愛する息子とともに、天に召されていくのを、よしとするか。
それとも、原爆被害者としての後遺症に苦しみ、原爆被害者に対する差別に苦しみ、その偏見のなかで、生きていくのを、よしとするか。
畑澤聖悟の脚本は、厳しい現実、そのなかを生きる人間を、怒り、悲しみ、そこに笑いを混ぜ合わせ、それこそ、「緊張」と「緩和」を繰り返しながら、描き出して。
凝縮した、1時間30分。
初演を見ていますが、その初演の時から、舞台が熟成している、と感じました。
富田靖子演じる伸子と、松下洸平演じる浩二との関係が、より緊密なものになった。
言葉を替えるならば、ふたりの間の「空気」が、ごくごく自然なものになった、と。
長崎の、原爆被害のことを考えた時に、
井上光晴の長編小説『地の群れ』を思い出します。
1963年に刊行。
そこには、被爆者差別問題、被差別部落問題、在日朝鮮人問題など、心に、グサグサと。
1970年には、熊井啓監督、脚本。井上光晴も、脚本に加わって、映画化。
これも、衝撃的。頭を何発もぶん殴られたような。