5月2日(日)、旧東海道・戸塚宿。


内田本陣跡、澤邊本陣跡を過ぎ。


海蔵院。

臨済宗円覚寺派のお寺。

創建は、南北朝期、1363(貞治2)年。

山号は、惠照山(えしょうざん)。

ご本尊は、釈迦牟尼如来。


狭い参道をのぼっていくと、山門。

2017(平成28)年に、1840(天保11)年以来の、改修工事をおこなったそうです。

2019(平成30)年3月に竣工。






風鈴というのでしょうか。それが、あちらこちらに吊るされていて。





今日は、非常に、風の強い日。

心地よい、金属音の、澄んだ音色を、響かせていました。風が、木々を揺らす音も重なって。


ホームページを見ると、樹木葬、レンタル墓地、ロッカー式納骨堂「戸塚花観音墓苑」の、熱心な案内。


ウィキペディアを見ると、

「無住時代などを経て、戦国時代に戸塚宿の基礎を作った地域の実力者、澤邊信友(天正19年・西暦1591年没)により、」中興された、と。


「澤邊一族」、です。


「澤邊本陣」、です。







そのまま、歩みを続けると、八坂神社。


1572(元亀3)年、戸塚郷の庄司内田兵庫源政親が創建。


『内田本陣』。

ここは、内田一族。


『戸塚区郷土史』によると、

「江戸期の参勤交代の際、些細なことから役人の貴諱に触れ、一時神体が地中に埋められ、神殿が閉鎖された」と。

その「些細なこと」が何であったのか、気になりますが。

その後、1688(元禄3)年に、内田佐衛門尉源政利が再興。明治初年に、それまでの牛頭天王社から、八坂社に改めて。

1932(昭和7)年に、八坂神社と改称。









そして、鎌倉道道標。

1707(宝永4)年の建立。


そして、富塚八幡宮。

ここが、『戸塚』の地名の語源になった、と。


祭神は、

誉田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇)。

富属彦命(とつぎひこのみこと)。戸塚鎮護の神様。

説明によると、

「古墳時代の戸塚の豪族で神社後方の古墳に鎮められている。」


で、その由緒は、

「平安時代、奥州『前九年の役』平定のために、源頼義、義家親子が、当地に露営した折、夢に応神天皇及び富属彦命の神託を蒙り、その加護により戦功を立てることが出来たのを感謝して、延文四年(西暦1072)社殿を遺り、両祭神を勘請しました。」

と。

現在の社殿は、天保12年。

拝殿は、昭和9年。


ここにも、松尾芭蕉、です。


「鎌倉を 生きて出でけむ 初松魚」


元禄5(1692)年、芭蕉、49歳の句。


富塚八幡宮のホームページ、『ウィキペディア』を参照。







まさに、『俳聖』。
松尾芭蕉。

まだ、戸塚宿。

藤沢宿をめざします。