侯孝賢監督の、『川の流れに草は青々』のチラシを見ると、そこに、
「フランス映画社配給
川喜多和子追悼
バウ・シリーズ作品」
とあり、川喜多和子さんへの追悼作品であることがわかります。




『キネマ旬報』No.1125は、1993年度のベスト・テン発表の号ですが、そこに、93年映画界10大ニュースも、選出されています。

その1位は、「株式会社にっかつが負債総額497億円で(会社更生法申請により)事実上の倒産となる。」

で、その4位が、「映画の輸出入に多大な貢献をしてきたフランス映画社副社長・川喜多和子さんが、6月7日クモ膜下出血で死去。7月には母親のかしこさんも死去する。」

で、8位が、「フェデリコ・フェリーニ、マキノ雅弘の東西の2大監督が相次いで死去する。」

川喜多和子(1940~1993)さん。日本の映画に多大な貢献をした川喜多長政と、かしこ夫妻の間に生まれました。
当然、その環境から、「映画」への道に進むのですが、最初の結婚相手が伊丹十三。彼と離婚して、再婚したのが、柴田駿(1940~2019)。
柴田駿は、1968年に、フランス映画社を設立。で、和子は、その副社長として。

フランス映画社。そして、そのバウ・シリーズ。

「バウ・シリーズ」というのは、「Best  of  the  World」。

そのシリーズによって、一般公開がむずかしい作品が、日本に紹介されたのです。

例えば、エルマンノ・オルミ監督の『木靴の樹』。
テオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』。
ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』。『エル・スール』。
パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ監督の『父 パードレ・パドローネ』。『サン★ロレンツォの夜』。
アンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』。『サクリファイス』。

他にも、ジム・ジャームッシュや、ヴィム・ヴェンダーズや、などなどなど。

そのフランス映画社の、バウ・シリーズによって、
どれほど、映画の素晴らしさを知ったことか!
どれほど、人生を、豊かにしてくれたことか!

川喜多和子さんにとって、両親のもとで、つまり、東宝東和という、大手企業で、映画に関わることも出来たはずです。
しかし、彼女は、自らの道を、自らの手で、切り開きながら、生きた。

その川喜多和子さんが、1993年に、亡くなられたのです。

で、フランス映画社ですが、素晴らしい作品を提供し続けていきましたが、「映画」の買付などでは、やはり、資本の大きなところの方が有利です。

で、2014年、フランス映画社は、倒産。

その母親である、川喜多かしこさんのことに触れます。

川喜多かしこ(1908~1993)は、現在のフェリス女学院を卒業後、東和商事に入社。そこで、映画の買付など、その輸出入にたずさわりました。
そして、1928年に、東和商事を設立した川喜多長政(1903~1981)と結婚。
英語、フランス語、ドイツ語に堪能であったというかしこは、数々の名作を日本に紹介。
外国などでは、夫の長政よりも、かしこの方が知られていた、ということもあったようです。

例えば、『制服の処女』(日本公開1933年)。
例えば、『禁じられた遊び』(日本公開1953年)。
特にこの『禁じられた遊び』、ルネ・クレマン監督の作品は、ナルシソ・イエペスのギターとともに、印象に残っています。
戦争孤児のポートレット。そして、農家の少年ミシェル。

この東和商事が、現在の、東宝東和へとつながります。

この川喜多長政と、かしこ夫妻の、映画への貢献は、はかりしれません。

現在、ふたりの暮らした鎌倉の邸宅が、鎌倉市に寄付され、『鎌倉市川喜多映画記念館』となっています。
小町通の喧騒から、少し入ったところの閑静な住宅街。
そこに、邸宅と、素敵な庭が。

庭は、入館料を必要とせず、その風情を楽しむことが出来ます。
ベンチもあって、休むことも出来ます。
ただ、お薦めはしません。
あまり、多くの人に来てほしくないので。

その、鎌倉市川喜多映画記念館のホームページから、

「鎌倉市川喜多映画記念館は、映画の発展に大きく貢献した川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅跡に、鎌倉市における映画文化の発展を期して、2010年4月に開館しました。
本記念館では、映画資料の展示、映画上映をはじめとし、映画関連資料の閲覧やWeb検索も行なっていただくことができます。また講座・講演会やワークショップなども年間を通じて開催いたします。
建物は平屋建ての和風建築で、数寄屋造りのイメージを表現し周囲の環境に調和しています。板塀もかつての面影をそのままに復元しており、展示室の明るく広い開口部からは緑豊かな庭園も眺められ、古都鎌倉の落ち着いた雰囲気をかもし出しています。

旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)は、哲学者の故和辻哲郎氏が江戸後期の民家を東京都練馬区において居宅として使用していたものを、昭和36年に川喜多長政、かしこ夫妻がここに移築したもので、夫妻はこの建物を海外から訪れる映画監督や映画スターたちを迎える場として使用しました。

 

旧市街地の谷戸の高台に建つこの建物は、背後の山並みと桟瓦葺きの屋根が調和した和風建築で、地域を代表する魅力的な景観を形成していることから、平成22年9月1日に景観重要建造物に指定されました。」