大林宣彦監督が亡くなりました。
で、彼の作品を、思い返しています。

1982年公開の『転校生』に続いて、

1983年7月16日に公開されたのが、『時をかける少女』。
併映は、根岸吉太郎監督の『探偵物語』。薬師丸ひろ子主演です。

筒井康隆の小説を原作として、脚本は、剣持亘。

この小説を原作として、NHKのテレビで、『タイム・トラベラー』という、少年向けの作品がありました。
調べると、1972年の放映。で、ちょうど、夕方頃の放映だったので、見ていました。

この『時をかける少女』は、角川春樹が製作に。

原田知世の、第一回主演作。

原田知世は、1982年の、角川・東映大型女優一般募集のオーディションで選出されています。
その時のグランプリは、渡辺典子。
原田知世は、特別賞。14歳でした。

この原田知世、渡辺典子に、薬師丸ひろ子を加えて、「角川3人娘」としての、売出し。その中で、原田知世は、年齢的に、妹分という感じで。

その後、原田知世は、テレビで、『セーラー服と機関銃』(1982)、『ねらわれた学園』(1982)に主演しています。
どちらも、薬師丸ひろ子の映画作品。

映画の『セーラー服と機関銃』は、1981年12月19日の公開で、相米慎二監督。
『ねらわれた学園』は、1981年7月11日の公開で、大林宣彦監督。

角川春樹と、大林宣彦との関係があって、この原田知世作品、大林宣彦が監督することに。
角川春樹の、原田知世に対する思い入れは深く、この『時をかける少女』の製作費は、角川春樹のポケットマネーから出ているという話もあります。

1983年度のキネマ旬報日本映画ベスト・テン
1位は、『家族ゲー厶』、森田芳光。
2位は、『細雪』、市川崑。
3位は、『戦場のメリークリスマス』、大島渚。
4位は、『東京裁判』、小林正樹。
5位は、『楢山節考』、今村昌平。

で、『時をかける少女』は、15位。
併映の、『探偵物語』は、25位。

ただ、読者選出日本映画ベスト・テンになると、
1位は、『戦場のメリークリスマス』。
そして、
3位に、『時をかける少女』。
10位に、『探偵物語』。

この1983年度の外国映画のベスト・テンは、
1位は、『ソフィーの選択』、アラン・J・パクラ。
2位は、『ガープの世界』、ジョージ・ロイ・ヒル。
3位は、『ガンジー』、リチャード・アッテンボロー。
4位は、『エボリ』、フランチェスコ・ロージ。
5位は、『フィツカルド』、ヴェルナー・ヘルツォーク。

個人的には、10位の、『サン・ロレンツォの夜』が好きです。
パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ監督の作品です。

で、『時をかける少女』です。
で、やはり、「A」、「MOVIE」と、モノクロームの画面に映し出され。

スキー場。星空を眺めている高校1年生の芳山和子(原田知世)と、堀川吾郎(尾美としのり)。そこに、深町一夫(高柳良一)が現れて。
彼らは、スキー教室に来ているのです。
引率の教師は、福島利男(岸部一徳)と、立花尚子(根岸季衣)。

スキー教室からの、帰りの列車。
車外の風景、車内の光景、それが、次第に、「色」を持つようになって。

「ぼくの映画はいつでもモノクロームから始まりますね。」
「ぼくにとって色とは本来ついてないことが自然で、色は、ある意思で、選んでつけていく感じなんです。つまり、ぼくの映画がカラーフィルムを使いながらもモノクロームから出発したりするのも、そこに色を置いてみよう、そこにこういう色を置いたらどうなるだろうという試みなんです。世界には本来色がなく、自分で選んで色をつけていくということでカラーになっていく。」
(『夢の色、めまいの時』から)

新学期が始まりました。黒板に記された、4月16日の文字。

この黒板に記される日にち、和子の家の日めくりの、日にち。それが、物語の展開に、大きく影響してくるのですが。

理科の実験室、掃除のために入った和子は、落ちたフラスコから上げる煙を吸い込んでしまいます。
その甘い香り。ラベンダーの香り。

そのことによって、彼女の身につけてしまった、不思議な能力。それが、テレポーテーションと、タイムトラベル。

尾道の街並み、狭い階段の、上り下り。
「観光名所」とは、程遠い、ごくごくあたりまえの、というよりも、少し前の時代の趣きを持つ、街。
そこを、和子たちは、よく歩いて。
言葉を変えるならば、「道行」の場面が多いのです。

和子は、同じ一日を、2度繰り返して。

やがて、和子は、幼馴染の深町に対して、思慕を抱くとともに、自分の体の中に生じている不可解さから、彼の存在の不思議さにも、戸惑いを覚えるようになって。
次第に、深町の秘密に近づいて行くことになります。

深町は、実は、2660年からやって来た、薬学博士で、植物の失われてしまった時代から、植物の研究のために、この時代に、タイムトラベルしてきたことを告白します。
この時代に、さらに、「深町一夫」という、すでに死んでいる少年に成り代わるために、周囲の人々の記憶をコントロールした、とも。
和子の記憶の中にある、深町との思い出は、実は、吾郎との思い出。その証拠に、あるはずの手の傷が、深町にはないのです。

最初の場面、スキー場のゲレンデ。
それが、最初の出会い。

ゲレンデで集合した生徒たち。滑り降りようとして、深町のスキー板がない。で、福島先生が、自分のスキー板を貸すのですが。
その、スキー板が不足したということが、伏線になっているのでしょう。

しかし、先日の、4月18日。大林宣彦監督の追悼として、この『時をかける少女』が、日本テレビ系列で、放映されました。
この4月18日というのは、この作品の中で、芳山和子が、2回過ごした日ということで、重要な日。
粋なはからい。

で、また、見ました。

ただ、年月が重なり、こちらも、人生を重ねて、素直さを、純な心を、失ってしまったからなのでしょうが。
気になるところが。

例えば、
ゲレンデでは、スキー板が足りませんでした。
で、新学期、クラスの机や椅子は、大丈夫だったのか、とか。
人々の記憶を変えることが出来て、この世界に混入。しかし、学校では、すでに書類となっている出席簿や、各教科担当が持つ記録簿などの、「物」は、どうなるのか、とか。
そもそも、その記憶の操作を、どれほどの範囲の人々におこなったのか。
とか、とか、とか。

もともとは、明朗快活な少女だった和子。
しかし、自分の身に起きた不思議な出来事、そして、深町との別れから、すっかり、「心を閉ざした少女」になってしまうのです。
大学院に進み、薬学の研究者となっている和子。
吾郎からのデートの誘いも断り。
果たして、何を楽しみに生きているのだか。

「たとえば、《時をかける少女》の中の、原田知世。あんな少女は現在の情報化社会にはいません。いつも背筋を伸ばして『こんにちは。おはようございます。さようなら』と言う少女はいません。本当はいるはずなんだけど、ぼくらの知ることのできる情報、少なくとも今の週刊誌や新聞やテレビの中では存在しませんね。だけど三○年前にはいたんです。」
(前項書から)

ウイキペディアを見ると、大林宣彦にしても、角川春樹にしても、大正ロマンチシズムを念頭に置いていたと。
で、原田知世の演ずる少女の髪型も、中原淳一の描く世界の少女に近づけるようにしたと。

11年後、大学の研究室。
その廊下で、和子は、「深町」とすれ違います。
お互い、ふと、振り返り。
しかし、こともなく、そのまま別れて。
和子は、「深町」との記憶を消され、その存在自体を、その記憶から失っています。

一方の、「深町」には、その記憶は残っているのでしょうか。

彼の生きる2660年に、戻った段階で、和子との記憶を、同じように消されているのか、どうか。
消されていないとしたら、和子との再会が、彼にとって、どのような意味を持つのか。

そもそも、どうしても、大正ロマンチシズムの世界の娘とは思えず、生気をなくした娘にしか見えないのですが。

この『時をかける少女』の撮影時、原田知世は、15歳。

原田知世は、翌年、
1984年7月14日公開の『愛情物語』に主演。角川春樹監督。
その年の、12月15日公開の『天国にいちばん近い島』でも、主演。大林宣彦監督作品です。

なお、1986年4月26日公開の、『彼のオートバイ、彼女の島』では、大林宣彦監督は、原田知世の姉の、原田貴和子を主役にしています。