7月4日(木)、中野にある、テルプシコールで、『背信』を見ました。主催は、東京サウンド・プロダクション。

『背信』。
作者は、ハロルド・ピンター。
喜志哲雄の訳を、磯村純の演出で。

まずは、作品の内容を、チラシから。
「親友の妻を愛する男。夫の親友を愛する妻。親友と妻の関係を知る夫。エンディングから始まる、鬼才ハロルド・ピンターの不可思議な世界」

ハロルド・ピンターは、1930年に、ロンドンで生まれています。ユダヤ系ポルトガル人の労働者階級の出身。もともとは、俳優を目指していたそうですが、目が出ず、劇作家の道に。
2005年には、ノーベル文学賞を受賞しています。
受賞理由は、
「劇作によって、日常の対話の中に潜在する危機をさらけ出し、抑圧された密室に突破口を開いたこと。」とあります。
初期の心理的リアリズムの世界から、政治的傾向を強めて行き、その活動も、平和運動、人権運動へと。
2008年、78歳で亡くなっています。

この『背信』は、1978年11月の初演。日本でも、上演が、重ねられています。

ただ、彼の作品、一筋縄ではいかないところが。

再び、チラシから、
「ピンターは不条理である。それ以上にピンターはリアルである。だから、不条理はリアルである。生活の中に潜むちょっとしたズレこそ、ピンターの戯曲の中に埋め込まれたトラップだ。」と。

ハロルド・ピンター、「不条理演劇の大家」などとも呼ばれているのですが。

ここで、「不条理演劇」を考えると長くなるので。

舞台は、1977年の春。
ジェリー(高橋和久)と、エマ(樋口泰子)とか、テーブルに向かい合い、酒を飲んでいます。
ジェリーは、作家エージェント。見込みのありそうな作家を掘り出して、出版社に売り込む。
エマは、画廊を経営しています。
二人の会話から、彼らが、かつて恋愛関係にあったこと、2年前に別れたことなどが見えて来ます。
ジェリーは、エマの夫のロバート(井上倫宏)の親友。
ロバートは、出版社に勤めています。
ジェリーとエマとの、7年間にわたる、不倫の関係。二人は、最初はホテルで会っていたのですが、やがてはアパートの一室を借りて、そこを逢い引きの場に。「逢い引き」などと、古き良き表現?ですが。

で、舞台は、その1977年の春から、時間をさかのぼり、二人が出会った1968年に。
ラストは、ホームパーティーで、ジェリーがエマに言い寄る、その場面で溶暗。

ピンター演劇で難しいのは、交わされる言葉が、言葉としての意味以上の存在を持っていること。その「存在」が、どのようなものであるのか、言葉の「表」はもちろん、その「裏」も「奥」も、探っていかなくてはならないこと。
さらには、舞台上で、交わされない「言葉」も、想像しなくてはならないこと。

例えば、1971年の場面。アパートで、エプロン姿のエマは、シチューを煮込んでいます。
ジェリーとの会話で、エマは、「フォート&メイソン」で、ジェリーの妻のジュディスを見かけた、と言います。ジュディスは、医師です。
ジェリーは、妻ジュディスが、職場の医師と浮気をしているのではないかと、疑っていました。しかし、エマは、女同士だったと。
そこで、考えるのです。
エマは、本当に、ジュディスを見かけたのか。
見かけたとして、本当に、女同士だったのか。
また、エマは、なぜ、ジュディスのことを言い出したのか。

そもそも、ジェリーは、妻のジュディスには、エマとのことは知られていないと思っていますが、それもあやしい。
そもそも、ロバートも、複数の女性関係があるようで。

1971年、旅行先のヴェニスで、エマは、ロバートに、ジェリーとのことを打ち明けます。すでに、ロバートも、気づいていたからです。
しかし、ロバートも知っているという情報は、ジェリーにはもたらされませんでした。ですから、ジェリーは、エマとの秘密の関係を続けていることを、ロバートの前では、告げませんでしたし、ロバートも、何も言いません。
そもそも、なぜ、ロバートは、妻の不倫のことで、ジェリーと語り合わなかったのか。
むしろ、ロバートは、自分の方が、ジェリーと関係を持ちたかったと。それは、本心?冗談?
ロバートは、執拗に、ジェリーを、スカッシュに誘います。

オックスフォード出のロバート。
ケンブリッジ出のジェリー。
イエーツを、ロバートが読んでいたら、今度は、自分が読み出して。
このロバートと、ジェリーの関係。

この『背信』、難しい作品だと思いました。
1977年から、正確な時代順ではないものの、時間をさかのぼり、1968年に至る。
「こと」が終わったところから、「こと」が生まれるところへ。
俳優は、時間の流れの中で、身についたものを、場面が代わり、時間がさかのぼっていくごとに、その身についたものを削ぎ落としていかなくてはならない。
10年に近い歳月、当然のことながら、肉体的変化、精神的変化も、あります。そこに、さらには、状況の変化も。

思い出すのは、2814年に、日生劇場での『昔の日々』。
演出は、デヴィッド・ルヴォー。
若村麻由美、麻実れい、堀部圭亮。
何を思い出したかというと、終演後に、「演劇意図を記した紙」が、配布されたのです。日生劇場の後、大阪に回りましたが、大阪では、開演前に配られたのです。
日生劇場という、大きな空間を、芝居としてまとめることに、失敗した舞台だったと。

2018年に新国立劇場で、『誰もいない国』が上演されました。
寺十吾の演出。
柄本明と、石倉三郎。
なぜ、この舞台を思い出したか。
それは、この『誰もいない国』でも、酒を飲み続けて。

『背信』でも、場面ごとに、酒を飲み続けて。

そういえば、昔、『景気づけに一杯』を、杉浦直樹と、矢崎滋で見ましたが、これも、酒を飲み続けて。

ただ、今回の舞台、さまざまな背景を考えることが出来た、その面白さがありました。