5月30日(木)、黄金町にある、「シネマ ジャック&ベティ」で、『バーニング(劇場版)』を、見ました。
監督・脚本は、イ・チャンドン。
オ・ジョンミも、脚本に加わっています。
「劇場版」とあるのは、この作品の製作に、NHKが加わっていて、すでに、テレビ放映がされているのです。ただ、それは、見ていません。また、この劇場版に対して、50分ほど短縮されたものであったとか。
で、原作は、村上春樹の『納屋を焼く』。新潮文庫に収められています。1983年に発表された短い小説。文庫で、30頁ほど。
もともと、NHKの、「村上春樹作品を映像化するプロジェクト」があり、イ・チャンドン監督に依頼したとのこと。

ただ、村上春樹作品とは、大きな違いがあります。
まず、舞台が、村上作品は、日本ですが、映画は、韓国。韓国の現代を描いています。
登場人物も、村上作品は、30代の、既婚者である小説家。相手の女性は、かなりの年下として。それに対して、映画は、アルバイトで生計を立てている、小説家志望の若者。女性は、同級生。

この村上春樹作品も、ウィリアム・フォークナーの『納屋を焼く』(あるいは『納屋は燃える』)との関連が、指摘されています。

イ・チャンドン監督は、村上春樹作品を下敷きにして、設定そのものも、変更を加えています。

見終えての感想は、「よく分からない」。
それは、作品を、その物語を、観客に分かりやすく、伝えようということが、そもそも、存在しないからです。
様々なことが、分からないままに取り残されています。そのため、作品の中に張り巡らされた伏線やら、隠喩やらを、その絡み付いた糸をほどこうと、見終えたあとも、幾度も、反復、反芻しているのです。

配送のアルバイトをしているイ・ジョンス(ユ・アイン)は、商業施設の前で、宣伝のために踊っているシン・ヘミ(チョン・ジョンソ)から、声をかけられます。幼なじみだと。昔、ジョンスから、「ブス」と、からかわれたと。しかし、ジョンスには、記憶がなく。すると、「整形をした」と。
そこまで言われると、ジョンスも、それが幼なじみのような気がして。また、よく見ると、昔の面影が残っているような気がして。

ジョンスは、ヘミから、アフリカに旅行するので、猫に餌を与えることを依頼されます。
ヘミのアパートを訪れて。
よく片付けられた部屋。
しかし、ヘミは、日当たりが悪くて、と。
ジョンスは、ヘミと、関係を持ちます。
ヘミの留守中、猫に餌を与えるために、ジョンスは、ヘミの部屋を訪れます。しかし、姿を見せない猫。果たして、ボイルと名付けられた猫は、実際に存在しているのか?しかし、確実に無くなっている餌。
このボイルという猫が、後半に、「意味」を持って来ます。
次第に、ヘミの存在が、ジョンスの中で、大きくなって来ます。

帰国したヘミを、空港に迎えに行くと、そこでジョンスは、ベン(スティーブン・ユアン)という、若い男を紹介されます。アフリカで知り合った、と。
ベンは、ポルシェを乗り回し、高級なマンションに住み、優雅な生活を送っています。しかし、その職業が何か、明かされません。
ジョンスは、「韓国には、ギャツビーが多い」と。
『華麗なるギャツビー』という映画がありました。もともとは、F・スコット・フィッツジェラルドの小説。謎の青年大富豪が、登場します。

ヘミを間に置いて、ジョンスとベンとの三角関係。といっても、ベンが、どのような気持ちをヘミに抱いているか、不明なのですが。

裕福な生活を送るベン。友人たちも多く、パーティーをやったり。そこに招かれたジョンス。ヘミが、アフリカの話をし、その部族の踊りを踊るのを、あくびを噛み締めているベン。
ベンや、その友人たちとの、明らかな生活の格差。

ジョンスは、ソウルから車で1時間ほどの坡州(パジュ)に暮らしています。
伝統的な農村地帯。しかし、時代の流れに取り残されていて。すでに、離村した家の廃墟も、あちらこちらに。ヘミの家も、すでに跡形もなく。
休戦ラインも近く、北朝鮮からのプロバガンダの放送も、流れています。しかし、それが当たり前になっていて。
ジョンスの母親は、家を出ています。
父親は、酪農を営んでいましたが、役所の人間と揉め事を起こし、その振るった暴力のために、裁判にかけられ、有罪。ジョンスは、その裁判の傍聴に出かけて。
父親は、怒りを抑えられない性格。それが、爆発してしまうのです。そして、その血は、ジョンスにも流れていて。と、それは、ラストに。

ある時、ジョンスの家に、ヘミが、ベンの車に乗って来ます。ベンの車は、ポルシェです。
ワインや、その他の食べ物も持参して。
酔いがまわったところで、ベンは、大麻を勧めて。ジョンスにとっては、初めての大麻。思わず、むせて。
夕陽がはるか彼方に沈もうとして、次第に闇が訪れる、マジックアワー。
酔いと、大麻による興奮から、ヘミは、上半身を脱いで、踊ります。その姿が、光のマジックによって、空気の中に溶け込むかのように、淡く、そして、美しく。
やがて、ヘミは、心地よい眠りに。
ジョンスとベンが、取り残されて。そこでベンが、ビニールハウスを焼くのが趣味だと、ジョンスに語ります。今日は、そのための下見だと。近日中に、ビニールハウスを燃やすと。そのビニールハウスは、ジョンスの近くにあると。

しばらくして、ヘミとの音信が途絶えます。
ヘミのアパートを訪ねても、そこには、誰もいない。

ヘミに心引かれていたジョンスは、その行方を探し求め。
ベンの後を追いかけ。
しかし、そこには、ベンの日常があるだけで、新しい女性の存在、友人たちとのパーティー。
ポルシェの後を追う、ジョンス運転の、古びたトラック。当然のことながら、ベンには、ジョンスに付きまとわれていることは、分かる。
それなのに、なぜ、気がつかないふりをするのか。

ジョンスは、ヘミの語っていた、ヘミの昔の家にあった井戸を探します。
子供の頃、ヘミは、その井戸に落ちたと。深い井戸の底で、ひたすら助けを求めていたと。そして、彼女を助けたのが、ジョンスだったと。
しかし、ジョンスには、助けた記憶も、井戸の記憶もないのです。
ヘミの廃墟となった家の前に住むに人に訪ねても、首を傾けるばかり。
かつての同級生に聞いても、井戸は、なかったと。そして、ヘミには、金を貸してあるが、返そうとしない、ヘミは嘘つきなので、信用出来ない、と。

ところが、久しぶりに連絡をしてきた、ジョンスの母親は、会うなり、金に困っているといい、さらには、ヘミのところに、井戸はあったと。それ以外は、会話も成り立たず、母親は、スマホの画面を見続ける。
母親は、金の話をしたいがためだけに、わざわざ、棄てた息子に会いに来た、のか。
ジョンスは、金の工面のあてもないのに、何とかすると。

それにしても、果たして、ヘミの話のように、井戸はあったのか、その井戸に、幼いヘミは落ちたのか?
井戸はないという者。井戸はあったという者。
どちらが正解か、その答えは示されていないのです。

ヘミは、どこに行ったのか。
ベンは、彼女は無一文だから、どこにも行けない、と。

そのベンの後をつけていて、逆に、彼のマンションに招かれたジョンス。
そこには、以前に訪れた時にはいなかった猫が。
ジョンスが、「ボイル!」と、ヘミの飼っていた猫の名前を呼ぶと、寄ってくる。
ヘミの部屋では、声をかけても、その姿を現さなかった猫のボイル。ここで、初めて、ボイルという名前の猫が、登場。しかも、ベンのマンションで。
この猫は、以前、ヘミの飼っていた猫なのか?

そもそも、ベンのマンションの洗面所。その引出しの中に収められている女性のアクセサリー。そこに、ヘミの腕時計が、新しく加わっていて。
なぜ、ヘミの腕時計が、そこにあるのか?

ベンは、ヘミの行方を知らないと言う。
ジョンスの中で、ベンに対する疑いが、増していくのです。

村上春樹の小説の中にも描かれているのが、蜜柑むき。
村上春樹作品の女性も、この映画のヘミも、パントマイムを習っています。
ジョンスの前で、ヘミは、マイムで、蜜柑を剥いて、口に入れて、皮を吐き出して、捨てる。その一連の動作。たっぷりと描かれています。
で、ヘミは、「蜜柑がないということを忘れればいい。」。

見えるもの、見えないもの。

ビニールハウスでいうならば、ジョンスは、それが、どこのビニールハウスなのか、調べまわります。しかし、ベンの「近日中」という言葉にも関わらず、燃えたものはない。
ところが、ベンは、すでに燃やした、と。
では、この「ビニールハウス」というのは、実体を持った存在なのか、それとも、何かの象徴、隠喩なのか?
ジョンスの身近のビニールハウス、それが、焼失する。
ジョンスの前にいたヘミが、その姿を消した。そのこと?

冬の凍りついた道。
ジョンスは、ベンを呼び出します。
その時、ベンは、「ヘミも一緒なのか?」と。となると、ベンは、本当に、ヘミの行方を知らないのか?その失踪に関わっていないのか?
しかし、ここに至るまでの展開では、ベンが、「怪しい」存在として描かれています。むしろ、ヘミを殺害したのではないかと。そうした「空気」が、作られて。
で、ジョンスは、ベンを、ナイフで突き刺します。
そして、その体を、ポルシェの中に押し込めて、油をかけて、焼く。
その激しく燃え上がる炎の前で、血に染まった服を脱ぎ、炎の中にたたき込む。
そして、とうとう、全裸になったジョンスは、自分のトラックに戻り、その場を離れるのです。
なぜ、ジョンスは、ベンを刺殺したのか?車ごと、焼き尽くそうとしたのか?
その憎しみは、どこから生まれたものなのか?

ジョンスの父親が、養豚の仕事をしていて、そのことで、役所ともめ、暴力をふるい、裁判にかけられて、有罪となった。その父親の、感情を抑えられない性格。怒りが爆発してしまう性格。
その性格を、ジョンスも受け継いでいるのでしょう。

愛するヘミを奪われた怒り?
格差社会の中で、裕福な生活を送るベンに対する憎しみ?

ヨハン・シュトラウスのワルツや、マイルス・ディビスの『死刑台のエレベーター』などの音楽も、効果的に使われていて。
「分からない」ということが、その先にあるものの奥深さを伝えているような。
様々な「記号」が、散りばめられ、それを、どのように結びつけ、関係を繋げるか、緊張を強いる作品でした。




それにしても、ジョンスを演じたユ・アインの、半開きの口、ぼんやりとして、遠くを見ているような目、そこに、満たされない者の姿を見ました。