2月8日(金)に、国立劇場小劇場で、文楽公演の第二部を、見ました。
14時30分の、開演。席は、1列の11番。

近松門左衛門の、『大経師昔暦』。
1715(正徳5)年、大坂の竹本座での初演です。

大経師というのは、「大辞林」(小学舘)によると、
「朝廷の用を受け、また奈良の幸徳氏・賀茂氏より翌年の新暦を受けて大経師暦を発行する権利を有した。」
そうした、暦の発行、販売を許可された特権的な商家。

その大経師以春の妻のおさんと、手代の茂兵衛との不義密通を描いた作品。
近松門左衛門には、『堀川波の鼓』や『鑓の権三重帷子』という、武家を舞台にした不義密通を描いた作品がありますが、これは、商家を舞台。

そのもとになった事件。
大経師浜岡権之助の妻のさんと、手代の茂兵衛との「姦通」。仲立ちをした下女の玉とともに、逃亡先の丹波で捕らえられ、1683(天和3)9月22日、粟田口で、三人もろともに、磔刑に。
井原西鶴が、『好色五人女』(1686)に、取り上げています。

「大経師以春の段」
実家の借金、その返済に困ったおさんは、手代の茂兵衛に相談します。すると、茂兵衛は、自分の責任で、以春の印判を使おうとします。
「私が少しの間横道致せば事が済む」と。
しかし、それを、重手代の助右衛門に、見つかってしまいます。
以春や助右衛門に、責め立てられる茂兵衛。
かねて、茂兵衛に好意を抱いていた下女の玉は、彼を庇います。
「仲居の玉はかねてより、茂兵衛に心をかけ『命も捨てん』と思ひ込む、」
自分が、茂兵衛に、伯父の借金を相談してのことで、茂兵衛に、罪はないと。
しかし、その玉に、言い寄っていた以春は、嫉妬し、腹を立て、
「さてはうぬらは密通か、この大経師は禁中の御役人、侍同事の町人、不義の上に主の印判盗み押す大罪」と、茂兵衛を二階に監禁するのでした。

その玉の告白で、以春が、「毎晩毎晩寝込みに」やって来ること、しかし、「一度も本望遂げさせ」ていないことを知ったおさんは、夫の以春を懲らしめるために、玉と入れ替わって、以春を懲らしめようとします。
おさんの言葉、「男畜生とは連れ合ひ以春殿、女房一人守ってゐる男とてはなけれども、あんまり女房を阿呆にした踏みつけた仕方、涙がこぼれて腹がたつ。」
ところが、その寝屋に、やって来たのは、茂兵衛。
玉が、常日頃から、茂兵衛に好意を抱いているのを知りながら、「日頃つれなきこの男を、女心に恨みもせず、仇を恩なる詞の情け(中略)一生に一度肌触れて、玉が思ひを晴らさせ、情けの恩を送らん」と、玉と思い込んで、忍びいったのです。
で、体を重ねてしまった。

で、そこが、以前から、よく分からないのです。
いくら暗闇とはいえ、相手を間違えることが、起こり得るのか。

確かに、「男は今日の一礼の声を立てねば詞なく」と、一言も発しません。それは、誰かに聞かれたら困るということなのでしょうが。
しかし、「手先に物を言はせては、伏し拝み伏し拝み、心のたけを泣く涙、顔にはらはら落ちかかる」という状態なのです。
おさんは、以春と連れ添って、幾たびも、その体を重ねている。にもかかわらず、気がつかないことがあるのでしょうか?
その顔に、涙が、はらはらと落ちて来るのです。
おさんは、疑いを持たなかったのでしょうか?
確かに、茂兵衛は、以春と同じような頭巾をかぶっています。そのため、
「頭を撫づれば縮緬頭巾、『サアこれこそ』と頷けば」と、おさんは、相手が夫の以春と思い込んだのでしょうが。
それでも、涙が落ちてくることに、疑問を、なぜ持たないのか?
おさんは、茂兵衛の、「その手を引き寄せて、肌と肌とは合ひながら、」と。

で、以春が、外出先から帰る。戸を開けろとの声。助右衛門が目を覚まして、行灯に火を灯し、それで、初めて、
「ヤアおさん様か」
「茂兵衛か」
お互いを確認しての、深い嘆きとともに、この段は、終わるのです。

それにしても、暗闇の中で、肌と肌とを重ねながら、相手を取り違えていることに、気がつかない、とは。そこに、いくら、思い込みがあったとしても。

暗闇の中で、相手を間違える、という経験がないので、よく分からないのですが。

ただ、この、取り違えが、物語を、大きく動かしていくのです。
「縁の始めは身の上の、仇の始めとなりにける」

「岡崎村梅龍内の段」
おさんと、茂兵衛は、大経師の屋敷から姿を消し、状況証拠から、二人は姦通したものとされ、役人に追われる身の上になりました。
この岡崎村は、玉の伯父である、赤松梅龍の住まいがあります。
玉は、仲立ちをしたという疑いを受けて、身元保証人である梅龍のもとに送られて来ます。
そこに、玉の消息を案じるおさんと、茂兵衛が、訪れて。
さらに、おさんの親、道順夫婦が訪れて。

「奥丹波隠れ家の段」
隠れ住んでいたおさんと、茂兵衛は、その居場所を知られ、役人にからめとられます。
そこへ梅龍が駆けつけて、玉の首を差し出し、二人の助命を訴えてます。
「この度おさん茂兵衛駆け落ちの事、ゆめゆめ両人の不義はなく、この玉がよしなき言葉を聞き違へ、嫉妬の心余って間違ひの誤りにて、(中略)詮ずるところ玉めが口からなす業、科人は一人、即ち玉が首討つて参るからは、両人の命お助け下さるべし」
と。
ところが、役人は、その行為に対して、早まったことをした、おさんと、茂兵衛の罪は定まったことではなく、その実否を、これから詮議するのに、その大事な証人である玉を、死なせてしまった、と非難するのです。
梅龍の、早とちり。
運命の分かれ道は、ちょっとしたことで決まるのですね。
で、おさんと、茂兵衛は、縄をかけられ、都へと引き立てられていくのでした。

人形役割
おさん、和生。
茂兵衛、玉志。
玉、簑紫郎。
以春、玉勢。
その他。

「大経師内の段」
中  希、清丈。
奥  文字久、藤蔵。

「岡崎村梅龍内の段」
中  睦、友之助。
奥  呂、團七。

「奥丹波隠れ家の段」
茂兵衛・梅龍、三輪。
おさん・助右衛門、南都。
万歳・役人、咲寿。
清友。

ただ、原作では、粟田口の刑場で、ギリギリのところ、道順夫婦の知り合いである、黒谷の東岸和尚の助命により、二人は、救われるのです。



で、この、おさんと、茂兵衛、逃避行のなかで、肉体の接触はあったと思いますか?
あくまでも、自分たちは、不義密通を働いてはいないとのことで、主と従との関係のままでいたのでしょうか?

井原西鶴の『好色五人女』では、茂兵衛は、おさんに夢中になり、おさんも、それを、受け入れた。

また、文楽において、8代目綱太夫は、茂兵衛は、それまで、女を知らなかったと。