11月21日(水)、三軒茶屋にある、世田谷パブリックシアターで、『銀杯』を、見ました。
ショーン・オケイシー(1880~1964)の作。アイルランドの劇作家です。
演出は、森新太郎。
翻訳、訳詞は、フジノサツコ。

内容は、チラシによると、
「第一次世界大戦中のアイルランド、ダブリン。軍からの短い休暇をもらって帰郷していたフットボール選手のハリー・ヒーガンは、銀杯(優勝カップ)を抱え、歓喜にわく人々の輪の中にいた。だが、戦地へ戻る船の出航時間は刻一刻と迫っていた。家族や友人たちに見送られ、ハリーは、仲間のバーニーや同じ共同住宅に住むテディらと再び出征する。ハリーの母親は神に3人の無事を祈るのだが一。」

この作品、1929年10月に、ロンドンのウエストエンドにあるアポロ劇場で、初演を迎えています。
なぜ、アイルランドで、初演を迎えていないのか。それは、ダブリンでの上演を、ノーベル文学賞の受賞者である、イエイツにより、拒否されたとか。
その理由は、「ダブリン市民の、欺瞞、不寛容、残酷さ」が描かれているからと。

さて、
舞台は、4つの場面から構成されます。
第1幕が、チラシの場面。
第2幕は、戦場。
第3幕は、病院。
第4幕は、舞踏会。
全体で、およそ2時間45分。途中、2幕と3幕の間に、20分の休憩が入ります。

第1幕、戦地に赴く前。これは、第一次世界大戦です。アイルランドは、イギリスとの関係で、参戦したそうです。
で、1幕は、喧騒、です。フットボールの試合の勝利、その優勝カップ(銀杯)を手にして、興奮状態のハリー・ヒーガン(中山優馬)。それを囲む、人々も、やはり、興奮状態。
ここで、主要な登場人物が、紹介されます。
ハリーの恋人ジェシー(安田聖愛)。
友人のバーニー(矢田悠祐)。
隣人のテディ(横田栄司)。
ハリーの父親(山本享)。
ハリーの母親(三田和代)。
お堅いスージー(浦浜アリサ)。
などなど。
ただ、その喧騒が、少々、うるさく感じられました。
で、出色なのが、2幕の、戦場の場面。ハリーは、軍規2違反したとかで、縛られています。
その戦場の劣悪さ、悲惨さ。それを歌うのが、等身大ほどの大きなグロテスクな人形たち。後ろで、それぞれ一人の役者が、操作し、歌い、語るのですが、見事に、「戦場」を、造形していました。
暗く、重く、そこにあるのは、いつ果てるとも分からない絶望と、その先にある死。
ここを中心とした芝居も、あり、と思わされました。優れた「音楽劇」でした。

休憩が入り、3幕は、病室の場面です。
ハリーは、下半身を負傷して、ベッドに。移動も、車椅子を使う生活。
ジェシーの心も、すでに離れて。
で、4幕が、舞踏会。
ジェシーは、ハリーの友人バーニーと付き合っています。
ハリーは、戦場に行き、負傷して、恋人を失い、また、フットボール選手としての輝かしい栄光、その未来をも失ってしまったのです。
そこにある、絶望。そして、怒り。そこから生まれる屈折した思い。
舞踏会で、人々が、軽やかに踊る、そのあふれるエネルギー。
そして、ハリーとバーニーとの、対立。
ただ、ここでも、舞台のやかましさを、感じてしまったのです。激しい言葉のやり取り。しかし、そこに、しっかりとした内面世界が裏打ちされていれば、激しい言葉のやり取りが、必然として、舞台を動かしたはず。
そのため、少々、長いと、感じました。

舞台は、斜めに傾いた大きな箱。上手から、下手にかけての傾斜。その中での展開。

しかし、そうした舞台よりも何よりも驚いたのが、観客の少なさ。
正確な数字は分かりませんが、今回は、三階の席で見ました。パブリックシアターの三階席は、およそ、90席くらいかな。しかし、ともに観劇したのが、11人。思わず、数えてしまいました。
二階席も、一階席も、同じような状況。
たまたま、この日の、この回が、異常だったのかもしれませんが。
この日は、18時30分開演の、夜の回もありました。
ただ、11月9日に、初日を迎え、25日が楽の日。もしも、評判が高ければ、口コミで、観客は、増えていくはず。
一般の、一階、二階のS席は、7800円。三階のA席は、4800円。