5月25日(金)、池袋の東京芸術劇場シアターウエストで、「池袋モンパルナス」を、見ました。
宇佐美承の、「池袋モンパルナス」(集英社文庫)を原作として、小関直人の作、野崎美子の演出。
作品としては、1997年に書かれ、初演されています。
フランスのパリ、そのモンパルナスに、世界中から、多くの芸術家が集まり、自由な雰囲気の中で、切磋琢磨、それぞれの芸術を高めあった。それと、同じように、池袋周辺にも、多くの、若い、貧しい芸術家たちが集まり、ある種の「梁山泊」のような世界を作っていたのです。
主人公となるのが、靉光(あいみつ)。
彼の絵は、見たことがあります。記憶に残っているのは、まず何よりも、その名前。何と読むのか、珍しい名前。本名は、石村日郎。
その靉光(山形敏之)を取り囲むのが、井上長三郎(池上礼朗)、鶴岡政男(亀岡幸大)、寺田政明(野内貴之)、古沢岩美(真原孝幸)、小熊秀雄(館野元彦)、藤沢一郎(井上太)、川島誠一(川邊史也)、そして、松本竣介(宮田将英)の、画家や詩人たち。
作品としての問題点は、そこにありました。
靉光という、個人に、スポットライトをあびせるのか。
それとも、群像劇として、それを構成する個々の人物に、スポットライトを、次々と当てていくのか。
その辺りが、中途半端なのではないか、と思いました。
そのために、靉光へのアプローチが甘い。その一方で、彼を取り巻く若者たちの描き方も、奥行きが不足。
若く、才能にも恵まれている。
夢にあふれ、希望に満ち、輝かしい未来もある。しかし、今は、貧しい。
それでも、そこにみなぎるエネルギー。
その彼らを、有無を言わせずに押し流していく、時代。戦争。好きな絵を、好きに描くことが許されない時代。若者は、戦場へと送り込まれるのです。
素材としては、とても、面白いのです。
靉光にも、召集令状が来て、彼は、戦場へ。
そして、1946年。戦争は、すでに終わっていましたが、病に犯されていた彼は、上海で、39歳の命を閉じたのです。マラリアと、赤痢であったとか。
彼は、自ら、多くの作品を処分していた。残された作品も、彼の故郷である広島、原爆により、失われてしまったのです。
その靉光の内面に、もっと、迫って欲しかった。絵に対する情熱、その絵に対する試行錯誤、そして、戦争。
あるいは、群像劇として、ひとりひとりの人生に関わるか?
どちらでも、いいのですが。
芝居とは、直接には、関係ないのですが、劇場で配布された公演内容を記したパンフ。
そこに、「池袋モンパルナス 主な登場人物」としての紹介の中で、松本竣介の項目。
「いまだに熱狂的ファンを持つ」と文言に、引っ掛かってしまったのです。
この「いまだに」。
広辞苑で調べると、「今になっても。今もって。まだ。」という語義。
その表現に、「熱狂的ファンが、今もいるということの不思議さ」が、にじみ出てくるようで、落ち着かないのです。
なぜなら、「熱狂的」とまではいかないのですが、好きな画家なのです。
岩手県立美術館、とても、お洒落な美術館です。盛岡市にあります。
岩手県にゆかりの、松本竣介、彼の友人の舟越保武の作品の部屋があり、充実した時間を過ごせます。舟越保武は、戦後の日本を代表する彫刻家です。
また、レストランも、眺めが、とてもよく。
盛岡駅から、少し離れていますが、お薦めです。



