4月26日(木)、池袋の東京芸術劇場シアターイーストで、モダンスイマーズの「嗚呼いま、だから愛。」を、19時開演で、見ました。

作・演出は、蓬莱竜太。

句読点三部作として、2016年の「嗚呼いま、だから愛。」。2015年の「悲しみよ、消えないでくれ」。2013年の「死ンデ、イル。」の、連続上演です。
このうち、「嗚呼いま、だから愛。」と「悲しみよ、消えないでくれ」は、初演を見ています。
今回、三部作の連続上演にあたり、もう一度、見てみたい、という気持ちがありました。それに、三部作セット券が、8100円と、安かったからです。

この、「嗚呼いま、だから愛。」という作品は、麻雀雑誌などに、四コマ漫画を描いている、売れない漫画家星野多喜子(川上友里)が、主人公です。
電車整備士の夫、一貴(古山憲太郎)とは、6年前に結婚。しかし、この2年間はセックスレス。
その夫が、大量のポルノDVDを隠していたことが発覚。物語は、そのDVDを、夫に突きつけるところから始まります。
夫の性欲が、自分に向かって来ない。それは、多喜子にとって、自らの存在に関わる、自らの本質に関わる問題。

多喜子には、姉がいます。木崎慎子(奥貫薫)。女優をしています。その姉に対するコンプレックス。夫も、姉に夢中だった時期があります。美人の姉に、ブスの妹。(ブスという言葉、劇中で多用されているので、ここでも使います。)

子供の頃、男の子たちのイタズラで、増水している用水路に投げ込まれたことがありました。その時の恐怖。無事に助けられ、多喜子は、言うのです、その後から、みんなは、優しくなった、と。みんなは、優しくしてくれる。しかし、多喜子は、それが、どのようなことか、分かるのです。そこには、対等な関係はありません。下位の者に対する、優越感から生じる「優しさ」。同情であり、哀れみであり。
なぜ、男の子たちのいじめの対象になったか。それは、ブスたったからです。

多喜子は、四コマ漫画を描いているのですが、そこに、アシスタントとして、三上千恵子(生越千晴)が来ます。美術大学を出た千恵子。それに対して、自己流の多喜子。
千恵子の実力に圧倒されるのです。千恵子に対するコンプレックス。多喜子は、辛くあたります。しかし、そのことが、かえって、多喜子自身を傷つけるのです。その上、誕生日のプレゼントとして、千恵子が描いた、多喜子の似顔絵。美しく描かれていることに、怒りを爆発させ、千恵子を追い出してしまいます。

親友の船場美幸(太田緑ロランス)。彼女は、ハーフで、美人。結婚していて、今度、夫の光太郎(小林竜樹)とパリに行きます。しかし、美幸が、妊娠5ヶ月であることを知らされなかった多喜子。子供のいない多喜子への気遣い。そのことが、その優しさが、多喜子を苛立たせるのです。

あらゆることが、無性に腹立たしい。

その、多喜子の、怒り、悲しみ、切なさ。その痛み。そのヒリヒリとする苦しさ。
それが、とてもよく伝わって来ます。

姉は、ストレートに言います、あんたは、ブスだから、仕方がないの、と。

チラシに、多喜子の声明文が書かれています。とても、面白いのです。
「私は生まれて一度も愛されたことがありません。私の容姿は特に醜いわけではありません。私を好きだと言ってくれた人はいます。私から告白して付き合った人もいます。だけど、何故か本当に愛されないんです。私にも理由がさっぱりわからないんです。夫はやさしい方だと思います。だけど私を愛していません。わかるんです。私は不倫をしています。その不倫相手も私を愛していません。何故なんでしょうか。私の姉はとても美しい容姿をしています。みんな姉と私を比較してしまうから愛せなくなるのでしょうか。私の顔のホクロが少しだけ目立つ位置にあるからでしょうか。私は生まれながらに何か差別を受けているような気がしてなりません。目に見えない差別。言葉に出来ない差別。私にはわかるんです。この世の中には無意識の、問題にもされない、とてもわかりにくい、だけど確実に存在している差別があることを。だって私は愛された実感がないんですから。(以下略)」

我々の日常生活の中にもある、ごくごく普通のこと。
満たされない思い。空虚感。腹の底から、逆流してくる苛立ち。
それは、極めて、個人的なこと。
それを、掬い上げて、あらためて、我々の前に展開。
観客と、舞台との距離が近いのです。