染井霊園を抜け、慈眼寺。
ここには、芥川龍之介の墓があります。
芥川龍之介、1892(明治25)年から1927(昭和2)年。35歳。
彼には、三人の男の子がいて、長男が、比呂志。俳優。次男が、多加志。彼は、1945年に戦死。三男が、也寸志は、作曲家。この三人も、ここに。
そして、谷崎潤一郎。
江戸後期の洋画家、司馬江漢。
さらに、進んで、本妙寺。
もともとは、1571年に、現在の浜松市に創建された寺。1590年、徳川家康が、江戸に移った時、移転して、江戸城内に。さらに、何回か、移転を繰り返し、現在の文京区本郷。
ところが、1657(明暦3)年の大火。この寺が出火元と言われています。
本妙寺のホームページです。
明暦三年(1657)1月18日未刻(午後2時頃)に出火し、折からの強風に煽られて、江戸城本丸・二の丸をはじめ江戸市中の6割余りを焼きつくし、死者約十万人に達した大火が「明暦の大火」です。
そして、火元となったのが本妙寺で、原因は本妙寺の檀家の娘の供養のために燎火に投じた振り袖が舞い上がって本堂の屋根に飛火したことによるものとされ、俗に「振袖火事」といわれています。
しかしこれは伝説で、火元が本妙寺であるということに関しても不審が多く、「本妙寺火元引き受け説」も語られています。
この大火の後、江戸の町は市街地が整備され、今日の東京の町並みの原型ができました。そうした中で移転させられた寺も多くありましたが、火元といわれた本妙寺は本郷丸山を動かず、罰も受けずに復興し、寛文七年(1667)には幕府から日蓮聖人門下勝劣派の触頭に任ぜられました。
と、あります。
1910(明治43)年、現在の豊島区巣鴨に移転。
まずは、その明暦の大火の供養塔。
北町奉行の遠山金四郎景元。通称、遠山の金さん。テレビなどで、背中の彫り物を見せていましたが。
千葉周作。江戸後期の剣豪で、北辰一刀流の開祖。坂本龍馬や、新撰組の藤堂平助、山南敬助など。また、山岡鉄舟も。
子供の頃の人気マンガ、「赤銅鈴之助」も、北辰一刀流でした。分かる人は、少ないでしょうが。
ここで、今回のツアーは、打ち止め。
帰りは、巣鴨の、地蔵通り。
とげ抜き地蔵の、高岩寺。
連休初日の土曜日。混雑。
若者が多くいることに、驚きました。
今回、持ち歩いたのが、この本です。








