六義園を出ました。
JR山手線の駒込駅、東京メトロの南北線の駒込駅を越えて、進みます。
ソメイヨシノの故郷。
染井。
江戸の末期から明治の始めにかけて、ここには、多くの植木職人がくらしていました。
彼らが、エドヒガンザクラと、オオシマザクラを交配させて、ソメイヨシノを生み出したのです。
染井の地の、桜で、ソメイヨシノ。
ヨシノは、奈良県の吉野。
この吉野の桜、2度、挑戦して、2度ともハズレ。いずれも、花の盛りが過ぎていました。
咲いた!それ!
というように、事前に計画を立てるのではなく、即断即決、飛び出さないとダメですね。
ただ、新緑の吉野も、素敵です。若葉が、光輝いて。
また、秋。赤色、黄色、橙色などなどの錦織。点描画の世界。紅葉したもみじの高揚感。
まだ、冬に、行ったことはありませんが、雪景色の世界も、きっと素晴らしいと思います。
要するに、どの季節でも、それぞれの季節ごとの魅力があるのです。
吉野、お薦め。
エドヒガンザクラは、桜の野生種の一つ。長寿ということで、例えば、山梨県北杜市武川の実相寺にあるエドヒガンザクラは、樹齢、2000年とも。神代桜、と呼ばれています。
オオシマザクラも、野生種。桜餅は、この桜の若葉を塩漬けにしたもの。
エドヒガンザクラの、花が葉よりも先に咲く性質と、オオシマザクラの、大きくて整った花が咲く性質とが、合わさっています。
このソメイヨシノ、次々と接ぎ木して生まれたクローン。だから、みんな一斉に、花を咲かせるのだそうです。
などと、直前に、付け焼き刃的に、知識を仕込んで。
確かに、桜の木、多いのですが、しかし、花の季節は、終わっているのです。残念です。
で、写真、ありません。
西福寺に立ち寄り、さらに、進んで、染井霊園。
染井霊園、都立の霊園です。
開園は、1874(明治7)年。
園内には、約100本のソメイヨシノがあるそうです。
ここには、有名人も、たくさん、眠っています。
岡倉天心。
高村光太郎と智恵子。
写真、撮るのを忘れました。
二葉亭四迷。
本名、長谷川辰之助。
小説家、翻訳家。
朝日新聞の特派員として、ロシアに行き、肺炎、肺結核。
帰国途上、ベンガル湾上で、亡くなり、シンガポールで火葬。46歳。
日本近代文学史には、必ず、その名前があります。
資料を手にしながら歩いていると、霊園の関係者の方がいて、資料には出ていないが、と、小森和子の墓を教えてくれました。
映画好きオーラが、溢れていたのでしょうか。
小森和子、映画評論家、です。
小森のおばちゃま、と呼ばれていました。
片岡鶴太郎が、よく、物真似をしていました。
彼女の人生も、波瀾万丈。
菊池寛と関係を持って、彼の運営する「映画時代」誌の編集部に入り、次に、川口松太郎。やがて、檀一雄と恋愛。
その恋愛遍歴の華麗さ。
ただ、晩年は、病気が重なり、火傷もしたりで。
小さな墓、でした。
以前に訪れた時、霊園事務所で、手に入れました。
この後、さらにもう二ヵ所、お寺をまわります。




