4月24日(火)、11時から、歌舞伎座で、昼の部、見ました。
最初の演目が、「西郷と勝」。
真山青果の、維新史三部作。1926(大正15)年11月に、歌舞伎座で上演された第一部「江戸城総攻」の第一幕二場と。第3部にあたる、1934(昭和9)年11月に上演された「将軍江戸を去る」の第一幕を合わせたもの。
ちなみに、第二部は、1933(昭和8)年の、「慶喜命乞」。
1868(慶応4)年。
薩摩、長州藩をはじめとした官軍による、江戸城総攻を前にして、江戸が火の海になることを避けたい勝海舟(錦之助)。
総攻めが翌日に迫った3月14日、江戸薩摩屋敷、勝は、西郷隆盛(松緑)との直談判に臨みます。
とにかく、台詞台詞台詞。
特に、西郷の、熱い思いを伝える言葉。
それを、どのように観客の心の中にまで届けるか。そのためには、まず、言葉が、西郷の言葉になっていないと。
そこが、課題かと。
明治150年記念。
協賛として、岩崎育英文化財団。
「筋書(パンフレット)」によると、台詞の文言の変更などを依頼したとありますが。
それと、外国の方の観客が目立ちますが、この作品、どれほど、面白さ、楽しさを感じ取れたか?
明治維新という、歴史の世界。
その上、台詞の世界。
次が、「裏表先代萩」。
仙台藩のお家騒動を描いた作品は、1777(安永6)年4月初演の「伽羅先代萩」が有名です。
この作品は、それを、「表」とし、町医者の大場道益を、下男の小助が殺すのを「裏」として、展開します。
時代物の仁木弾正、世話物の小助。それを、一人の役者が演じ分ける趣向です。
その点、夜の部と同じ。
こちらは、尾上菊五郎が、演じます。
ただ、この「伽羅先代萩」という作品そのものに、あまり、好意を抱いてはいないのです。
その一つが、「足利家御殿」の場。
乳人政岡(時蔵)が、足利家の家督を継ぐ鶴千代を守っています。食事も、毒を盛られる恐れがあり、政岡自身の手で作ったものだけを食べさせて。
今回は、ありませんが、「飯炊き」として、茶道具を用いて、食事の仕度をする、有名な場面。6代目の歌右衛門などは、たっぷりと、一つ一つの仕草を丁寧に、演じました。しかし、その張り詰めた緊張感。長さ、退屈さは、感じませんでした。いや、長い、とは思いましたが。
最近は、ここをカットします。
見せ場に出来ない役者が多くなったからでしょうか。
で、そこへ、管領山名宗全の妻である栄御前が現れ、毒入りの菓子を、鶴千代に勧めます。そこに、政岡の子である千松が飛び出して、自ら、菓子を食べ、残りを蹴散らします。
仁木弾正の妹八汐は、毒に苦しむ千松を、むごたらしく殺す。
我が子を殺されながらも、表情一つ変えない政岡。
栄御前は、「取り替え子」であると思います。
我が子に、足利家の家督を継がせたいために、政岡は、鶴千代と千松を、取り替えた。つまり、殺された千松が鶴千代で、政岡が守った鶴千代は、実は、その子供なのであると。
そこで、政岡を信用した栄御前は、悪人たちの連判状を、政岡に渡すのです。
それが、納得出来ないのです。
栄御前、あまりにも、単純、です。
大切な連判状、簡単に、手放していいものか、と。
そのことへの疑問は、昔からあり、あらかじめ栄御前に、政岡は、味方ですよ、仲間ですよ、信じても大丈夫ですよと注進する場面を入れたものも。
確かに、そうです。
簡単に、信じ過ぎます。
そして、仁木弾正の扱い。
「床下」の場では、妖術使いです。
強烈な、悪のオーラ。
ところが、その仁木弾正、お白州では、ただの人。
なぜ、そこで、妖術を使わないのか。
あっさりと、恐れ入りました、と。
そして、最後は、「仁木刃傷」の場。
お家騒動の争いに敗れた弾正は、その相手である渡辺外記左衛門(東蔵)を、殿中で、刺します。
そもそも、犯罪者が、なぜ、単独行動出来るのか。
しかし、そこで、逆に殺される。
全てが、解決。めでたし、めでたし。
すると、細川勝元(錦之助)が、外記に、めでたいので、ひとさし舞え、と。
腹を刺され、そのため、籠を用意されているのです。その老人に、舞え、とは。
相手は、苦痛にあえいでいるのです。
まさに、信じられない世界。
確かに、渡辺外記、そう長くは生きられないでしょう。最期の「花」なのかもしれませんが。
ということで、この作品、しっくりとは来ないのです。
もう一つ。
殺された仁木弾正を、家来たちが、奥に運びます。その時、まるで、ハムレットのように、頭上にかかげて。
英雄では、ないのです。
お国の転覆をはかった極悪人、です。
これは、渡辺保さんも、指摘していました。
ただ、その、頭上にかかげるのが、動きとしてきれいなので、観客からは、拍手が。
しかし、疑問。

