1月27日(土)、国立近代美術館で、熊谷守一の、没後40年の回顧展を見たあと、皇居の東御苑に向かいました。
平川門から、入りました。
平川門は、江戸城の裏門にあたり、大奥近いところから、大奥女中たちの出入りする通用門であり、また、御三卿(清水、一橋、田安)の登城口でもあったとか。
また、この門は、不浄門とも呼ばれ、罪人や遺体は、ここから出されたとのこと。刃傷事件を起こした、浅野内匠頭も、一関藩の田村邸にお預けのため、この門から出た、ということです。
雪が、残っています。




梅林坂を、上ります。
1478(文明10)年に、太田道灌が、菅原道真を祀り、梅樹数百株を植えたので、この名前があります。
梅、咲き出していました。





江戸城天守台。
東西約41メートル、南北約45メートル、高さ約11メートル。
この天守台の上に、天守閣があったそうです。
天守台は、1606(慶長11)年に完成し、翌年に、天守閣も。これが、慶長天守閣。
ただ、それは、今とは、位置が異なります。
その後、2代将軍の秀忠が、1622(元和8)年に、新しく天守台、天守閣を作ります。
さらに、3代将軍家光は、1637(寛永14)年、今の位置に、屋根に鯱を乗せた、5層6階の天守閣を建設。45メートルの天守とのことです。
ちなみに、秀吉の大坂城は、30メートル。姫路城は、31メートル。
ところが、1657(明暦3)年の振袖火事で、焼失。
以後、その必要性もなくなり、天守閣が再建されることは、ありませんでした。
ですから、今では、その土台だけが、でんと、あるだけなのです。

桃華楽堂が見えます。昭和天皇の皇后の香淳皇后の還暦を祝って建設された音楽堂、です。
1966(昭和41)年2月に完成。200名規模の音楽堂。
「桃華」の由来は、皇后の誕生日が、三月なので「桃」とし、「華」の字形が、十が六個と、「一」とで構成されているところから、還暦(数え年61歳)を意味。




松の大廊下跡。
1701(元禄14)年3月14日、赤穂藩主である、浅野内匠頭が、吉良上野介に対して、刃傷に及んだ場所です。「忠臣蔵」の、世界です。




富士見櫓。
江戸城の旧本丸の東南隅にあります。
1659(万治2)年の再建。
天守閣が、焼失した後、この富士見櫓が、その代用となったそうです。
どこから見ても、同じ形に見えるので、「八方正面の櫓」と呼ばれています。
櫓の高さは、15・5メートル。




東御苑は、まだまだ、雪が残っていました。
その雪を渡って来る、風の冷たさ。

そこから、さらに、大番所、百人番所、三の丸尚蔵館の前を通り、大手門。

そして、東京駅。