1月18日(木)14時開演、六本木の俳優座劇場で、俳優座の、「いつもいつも君を憶ふ」を、見ました。
山谷典子作、深作演出。
作品の感想の前に、この日の朝、新聞で、神山寛死去を知りました。
この作品にも、出演予定で、チラシにも、プログラムにも、その名前と写真が載せられてあります。
これから、作品を見る、その矢先のことに、驚きました。
神山さんの、ご冥福を祈ります。
で、作品の感想です。
物語は、関東大震災の翌年から、始まります。
それから、およそ100年あまり。
川越に暮らす、ひとつの家族の、定点観測。
そこには、死があり、誕生があり。出会いがあって、 別れもあります。
また、この100年は、この日本にとっても、激動の時代でした。その激しい波や風に、この家族も、翻弄されます。
それが、七つの「景色」に。
物語の始まり、最初の景色は、関東大震災の時の虐殺から、庇いかくまったお礼に、朝鮮人親子から、大きな置時計が贈られる場面。
その、人間の身長ほどもある置時計が、この家族を見守っていくのです。
この家族、岡崎家には、初孫の順子が誕生しました。
やがて、昭和と変わり、戦争の時代に。
徴兵により、戦地に赴く若者たち。
日中戦争。
太平洋戦争。
そして、戦死。
しかし、その彼らが、戦地で何をしたのか?
被害者であり、加害者。
この岡崎家の隣が、シリウス座という映画館。そこを経営する田宮家との交流も、物語の流れを作っていく。
戦後の混乱。
シベリアに抑留されていた田宮家の主人の帰還。その心の荒廃。
大阪万博。
東京オリンピック。
そして、東日本大震災。
日本が、二度目の東京オリンピックを終えた翌年の、2021年が、最後の景色。
それは、順子の死。
そして、その死を見届けて、100年の古時計も、時を刻むのを終える。
ことある度に歌われるのが、チャップリンの「モダンタイムス」の挿入歌。「スマイル」。
で、見終えて、ここに展開された物語が、こちらの心に入っていませんでした。
一つの家族の、100年の物語。
それは、現在の日本の、各家族の物語でもあります。
この100年、いろいろなことがありました。
その、いろいろあったことが、鍋の中に、生煮え状態。それは、歯ごたえがある、というものではなく、味が、染み込んでいない、ということです。
また、鍋の味付けも、寄せ鍋風か、キムチ鍋風か、伝わって来ない。
では、なぜ、そうなのか?
七つの景色が、それこそ、単なる景色なのです。
そこに生きる人々の存在も、景色。
その、景色が、見る人を感動させるための、エネルギーが必要です。
別の表現をするなら、総花的、なのです。
岡崎家の孫世代である、新聞記者になった清が、その親世代の戦争責任を追及する場面があります。
祖母は、それに対して、戦争を美化。
その対立。
ここの「景色」だけ、他とは、色彩が違いました。
鍋の味付けが、違いました。
しかし、その対立も、時の流れの中で、次の場面に移っていくのです。
それと、気にかかるのが、「いつもいつも君を憶ふ」。
そのことは、とても大切です。
これは、与謝野晶子が、敬愛する賀川豊彦を慕って詠んだ詩。
しかし、対象を、「君」ではなく、我々を取り巻いているものに向けなくてはならないことも、時も、あります。
そして、それは、「スマイル」ではすまされない、怒りや悲しみを込めて、向き合わなくてはならない時も。
「スマイル」して、個人の中で無理やり解決させてしまってはいけない。
福島原発の事故により、甲状腺がんになった少女に向かって、「スマイル」とは、言えないのではないか。
2021年の、最後の場面のことです。
こうしたことを、あれこれと考えながら、六本木から渋谷まで、歩いたのでありました。


