少しずつわたしのプロフィールを書いています。

今日は子どもの頃のわたしをご紹介。

いまや毎日自分のおもったことや

であったことを

発信しているわたしですが、

実はウルトラひっこみじあんだった

過去があります。

 

 

こんにちは。

アラカンライター、

あきやましずえです。

 

 

1960年神戸生まれ神戸育ち。

兄+妹2人の3人兄妹のまんなかで、

小さい頃は、

今のわたしから想像もつかないほどの

ひっこみじあんでした。

 

 

写真を撮られるのもはずかしく

父や母にかじりついて

ちょっとだけ顔を出すような子ども。

 

 

幼稚園の先生には、

わたしは

「文章を最後まではっきり言わないから、

なにを言っているかわからない」

子どもであると言われ、

手をつないで登園するはずの兄が、

冗談で手をふりはらっただけで

泣きべそをかくような女の子だった。


信じられる?

 

 

祖父母叔母+いとこといっしょの大家族で、

祖母とうらの畑の竜神様に

まいにち卵をおそなえに行ったことや、

その本家の敷地で

いとこたちと遊んだことを覚えています。

 

 

幼稚園年長にあがる年に、

神戸市内で引越し。

母の本家脱出作戦成功です。

 

引越しで打たれ強くなったのか、

小学校では学級委員長になるまでに成長します。
が、はじめて「学級委員長になった」と

報告したわたしに

「あんたが!?」とびっくりしたのは母。

 

 

「よくできる兄」の威光で学級委員になった、

と母に言われたことは

後年ヒプノセラピーを受けた2018年まで

ずっとトラウマでした。

 


それまで “じみ路線” 一直線だったのが、

この他薦で学級委員長になったことで

少し明るい方に向きます。

でも、小学1年生から肥満児で、

内面ではずっと暗い部分を

引きずっていました。

 

 

ただ、おデブちゃんは

明るいキャラクターでいないといけないと

どこかで盲信していた。

中学高校と暗い部分を人に

見せることはありませんでした。

 

 

 

今でも映画やTVで典型的な

明るいおデブちゃんキャラクターが登場すると、

あまりにもステレオタイプな設定に

悲しくなります。

 

 

人間観察ができてへんな、

しょうもな、

と憤りを感じます。

 

 

中学ではマンガ描きと

ソフトボールに熱中しました。

マンガは肉筆雑誌

(オリジナル一冊きり)を自主発行。


ケント紙にインクで描いていたなぁ。

 

 

でもストーリーが作れないのが

自分でもわかりマンガ家への夢は破れました。

 

 

ソフトボール部に入ったのは、

当時、女子は野球部に入れて

もらえなかったから。

兄とはずっと草野球をしていたので、

残念でした。

今でも、バッティングセンターは大好きな場所です。

 

 

そして、暗黒の高校時代。

どういうわけか放送部に入部します。

裏方でミキシングなどを担当。

 

 

放送部には立派な部室があるのをよいことに、

そこにかくれて朝礼や授業をサボったことがある?

 

 

。。。はい、実はあります。

 

 

原因不明に、「今日は雨だから」

と学校に行かなかったことは?

 

 

。。。それもあります。

 

 

というようの怪しい高校時代でした。

 

 

そんな体験もある、ので、

「不登校」という重たいネーミングが

つらいわたしです。


ただ、その日学校にいかない選択をしただけ。

 

 

あの頃、それでもうるさく言うことなく

放っておいてくれた母には感謝しかありません。

少しはわたしに対する評価が

ましになっていたのでしょうか?

 

 

これから、

きまぐれに

どんどんつづきます〜。

 

 

今日もブログご訪問、

そして最後までお読みいただき

本当にありがとうございます。

Hope you to have a woderful day♡

 

 

大学生活から演劇との出会い編
につづきます♪