
イル川河口付近の碑
一木清直隊長は、1942年8月21日、イル川渡河戦にて
包囲殲滅された隊(約900名中777名死亡)
とともに、自決した(アメリカ側の記録では戦死)と伝えられています。(ウィキペディア)
ガダルカナル島の最初の大きな衝突でした。
ネットを検索して、
「彷徨える英霊たち」(田村洋三著)(中公文庫)には
戦死の前夜、旭川の連隊本部に、一木隊の幽霊が
現れたというエピソードが紹介してあります。

近くの家

金髪なのは、生まれつきで、
つっぱって染めているわけではないそうです。


わたの木の花がきれいです



トイレ休憩のため、ホニアラ国際空港に立ち寄った際
高射砲が展示されていました。

トイレ借りますm(_ _)m

ホニアラ空港の端っこにルンガ飛行場跡があります
日本軍が、1942年7月~8月に最初につくったのを
米軍に占領され、ヘンダーソン飛行場と名付けて
使ったのが、戦後ヘンダーソン国際空港となり、
滑走路、ターミナルなどが整備され、
2000年から、ホニアラ国際空港となったそうです。
空港ターミナルは、1997年日本政府の援助で
北野建設(長野市の中堅ゼネコン)が作ったそうです。
いまは、使われていない滑走路が
草ボーボーになって残っています。

戦争中に使われていた施設は
あまり残っていませんが、これは補修されて
使われていたらしく、残っているそうです。

一木支隊鎮魂碑のまわりで、少女たちが草取りを
していました。(テナル村)

この学校の生徒さんたちと思われます。
そうじの時間らしく。
自動車の故障で、時間がずれてここに
来るのが遅れたおかげで、
ちょっとだけ一緒に草取りをして、
ありがとうって、言えました。


保育園のお散歩だそうです。

道路を直したいところ

わりと裕福な人の家かな。

ムカデ高地に向かいます
木が生えてなくて草原状の丘が続いています。

白い碑がみえました

涼しい車から出ると、蒸し暑くて、カメラが曇って
しまいました。

第二師団慰霊碑
米軍側では、血染めの丘って呼んだそうです。
一木支隊が殲滅したあと、
ガダルカナル島を奪還するため、
二次攻撃のため、派遣された川口支隊が進んだ
丸山道というルートの途中にあるらしい。
少しずつ、ガダルカナル島の戦いの経過が
わかってきました。
武器も食糧も、乏しいし、人数もけたが違うのに
戦いに行かせるって、なんだったんだあ。

ムカデ高地からギフ高地の方を見る

すぐ下の村

一回町におります


バス

スクールバス

小さなマーケット

きれいな教会

丘にのぼります

平和慰霊公苑 入口の石を動かして入れてもらいます

焼骨場あとに建てられたそうです。

研修に来ていた学生さんたち


車の故障で遅れた分を取り戻そうと
でも、省略はしないで、一生懸命説明しながら
回って行くガイドのアルバートさんに
がんばってついていきました。
続く