John's BOOROCKSブログ-I Love The Beatles, Fender Guitars & Movies! -37ページ目

John's BOOROCKSブログ-I Love The Beatles, Fender Guitars & Movies!

ハンドメイド・エフェクター・ブランドBOOROCKS(ブロックス)のスタッフによる、音楽(BEATLES & Fender)と映画の気ままなブログ。

こんんちは、まだリハビリ中のJohnです、

先週から幻と終わったルバム、セッションズについて再録していますが、今日はその続きです。お楽しみください。


幻のアルバム、セッションズ(2)

3)『セッションズ』プロジェクト

1983年夏、アビイロード・スタジオの改装に合わせて行われたスタジオ一般公開時、このビートルズのヒストリー・フィルムのアトラクションは非常に大きな反響を呼び、特にそのサウンド・トラックに使われた、ジョン・バレット編集によるビートルズ未発表曲テープが大きな話題となった。
 何と、ポール、ジョージ、リンゴもそれぞれプライヴェートに観に行ったほどだ。もちろん彼ら自身も解散以来、聴くことが無かったビートルズのスタジオ・ワークの模様は、驚きだったようで、ジョージなどは「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のデモ・ヴァージョンのコピーを、EMIに頼んだということだ。

 この事実は当時EMIの広報担当重役であったブライアン・サウソールの耳にも届いた。これによりサウソールは、真剣にビートルズの未発表曲集の制作に向けて自ら舵取りをすることになる。後に『セッションズ』となるプロジェクトがここに立ち上がることになる。しかしこのプロジェクトの切っ掛けとなったバレット本人は、残念なことに1984年に鬼籍に入っていた。
 
 アビイロード・スタジオのイベントを見にきたビートルズのメンバー達の反応を見て肯定と解したブライアン・サウソールは、メンバー達の承諾を得ないまま、未発表曲を集めたアルバム制作にいよいよ本腰を入れ始めることになる。

 まずは実際にビートルズのレコーディングに携わったエンジニアを呼ぶ必要性を感じたサウソールは、ジェフ・エメリックに連絡を取り、リミックス作業を依頼する。

 エメリックを迎えてリミックス作業は順調に進む。というのも、ジョン・バレットによる調査データが物を言ったのだ。エメリックが、残された膨大なマスター・テープに耳を通す必要はなかったのだ。ジョン・バレットのデータと、バレット・テープの確認で大半の作業は完了したのだった。それほどにバレットの作業は完璧な出来映えだった。そしてアルバム『セッションズ』は徐々に形を成していったのだ。

 1985年、いよいよジェフ・エメリックの手によって、ビートルズの未発表曲を集めた画期的なアルバム『セッションズ』が完成を見た。


1.カム・アンド・ゲット・イット・・・『ビートルズ・アンソロジー』収録のものと同テイクだが、バレットがミックスしたヴァージョンとは、ダブル・トラックのボーカルのミックスが異なっている。
2.リーヴ・マイ・キトゥン・アローン・・・『ビートルズ・アンソロジー』収録と同ヴァージョン。
3.ノット・ギルティ・・・『ビートルズ・アンソロジー』収録と同ヴァージョン。
4.アイム・ルッキング・スルー・ユー(君はいずこへ)・・・『ビートルズ・アンソロジー』収録と同ヴァージョン。
5.ホワッツ・ザ・ニュー・メリー・ジェーン・・・『ビートルズ・アンソロジー』収録と同ヴァージョン。
6.ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット・・・基本的にはジョージ・マーティンが1962年に作った完成モノ・マスターしか残されていないので、すべてが同じテイクだが、ジェフ・エメリックによって一部編集されている。オリジナルでは、歌詞の最後の一行「Wish I’d knew how you do it to me, I’d do it to you」を三回繰り返して終わるのだが、『セッションズ』では繰り返し部分の一回目だけに違う歌詞「Wish I’d knew how you do it to me, but I haven’t a clue」を一番から持ってきてはめ込む編集をしている。その意味は全く不明。『アンソロジー』でも後者、エメリック編集ヴァージョンを使っている。
7.ベサメ・ムーチョ・・・1962年6月6日のEMIでの最初のレコーディング・セッション(ドラムスはピート・ベスト)のデモ・ディスクが残されており、そこからジョン・バレットが起こしたヴァージョンが『セッションズ』にも使われている。これはそのまま『アンソロジー』にも流用された。
8.ワン・アフター・909・・・「フロム・ミー・トゥ・ユー」と同日のレコーディング・セッションで録音されたこの曲は、5テイク録られた内のテイク2だけが完奏している。ジョン・バレットはこのテイク2をミックス・ダウンしていたが、ジェフ・エメリックは『セッションズ』のライナーノーツに書かれた通り、完奏せずに途中で止まってしまうテイク4と、編集用に後半部分のみが録られたテイク5をつなげている。『セッションズ』『アンソロジー』共にエメリック編集のヴァージョンを収録している。
9.イフ・ユーヴ・ガット・トラブルズ・・・『セッションズ』では、エメリックが非常に特殊な編集をしている。何と1番の16小節をカットし、2番から歌がはじまるのだ。確かにオリジナルでは曲自体に、冗長感があり、そのために御蔵入りとなったのも納得だが。しかし、さすがに『アンソロジー』では大きな編集は行わず、オリジナル通りの構成だった。(個人的にはエメリック編集の方が、冗漫感がなくすっきりしていて好ましいのだが。)
10.ザット・ミーンズ・ア・ロット・・・後に『アンソロジー』に収録されたヴァージョンと同じテイク1が収録されている。
11.ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス・・・ジョン・バレットが見つけ出してきた、ジョージによる珠玉のデモ・テイクだが、エメリックは僅かに手を加えている。エンディングのジョージのギターは単純明快にワン・フレーズのみで終了するのだが、エメリックはこのフレーズをエンドレスの繰り返しにしてフェイドアウトにする編集を行っている。『アンソロジー』にもエメリック編集ヴァージョンが使われている。
12.メールマン、ブリング・ミー・ノー・モア・ブルース・・・バレットがミックスしたヴァージョンはオリジナルに忠実で、<a歌/b歌/c間奏/d歌>という構成だが、エメリックはこれを大幅に編集している。エメリック・ヴァージョンの構成はこれを<c間奏/b歌/a歌/c間奏/a歌>という具合に入れ替えているのだ。おそらく<d歌>のジョンのボーカルの音程が幾分フラついているためカットし、その分の演奏時間を補充する目的でこのような編集をしたものと思われる。『アンソロジー』でもエメリック・ヴァージョンが採用されている。
13.クリスマス・タイム(・イズ・ヒア・アゲイン)・・・1967年にファンクラブ会員向けに贈られたソノシートに収録された音源で、オリジナルは長尺だったが、『セッションズ』では、出だしから一分強でフェイドアウトする。この曲は『アンソロジー』そのものには収録されなかったが、「フリー・アズ・ア・バード」のシングルCDにカップリング曲の一つとして、『セッションズ』とは別編集のヴァージョンが収録された。

以上が『セッションズ』の全貌だ。


4)幻に終わった『セッションズ』

 ブライアン・サウソールの推進したビートルズ未発表曲集、『セッションズ』は1985年末にリリースが決まった。ジェフ・エメリックの労力によって完成したこのアルバムのマスター・テープはコピーが作られ、全世界のEMI傘下レコード会社に送られている。
 実は筆者自身も、1985年にはジョン・レノン『ライブ・イン・ニューヨーク』をはじめとして、ビートルズ関連のライナーノーツを書いていた関係で、当時の東芝EMIに出入りしていましたが、その頃にビートルズ担当者に「噂の未発表作品集は出るのか」と尋ねたところ、彼が「もうマスターが届いている」と明言したことでも確かなことだろう。

各国に送られたマスター・テープ・コピーは、厳重に取り扱われたのだが、フランスのパテ・マルコーニ社では早々にこのマスターからサンプル盤をプレスしていた。そして一部に配布された、このサンプル盤から『セッションズ』の海賊版が作られたのだった。このブートレッグは、世界中のビートルズ・ファンに大きな衝撃をもたらすことになる。

 一方、ビートルズの元メンバー達には、このプロジェクトの詳細は全く伝えられていなかった。しかしながら、EMIでは告知目的でプレス関係に「ビートルズ未発表曲集リリース」というニュースをリークして新聞紙面を賑わすに至り、やっとその事実を知ったビートルズ側は、すぐにEMIに対してリリースの差し止めを要求します。
 中でもポールは激怒し、訴訟問題となりそうな気配を見せたため、EMIはこのプロジェクトを諦めざるを得なくなったのだ。

 EMIではすぐに各国に送ったマスター・コピーを回収し、このプロジェクトの存在自体を抹殺する手段に出て、事態の沈静化を図る。EMI側の徹底の度合いは物凄く、例えば2008年にジェフ・エメリックが書いた自叙伝「HERE, THERE AND EVERYWHERE(放題/ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実)」(白夜書房刊)では、『セッションズ』に関する記載は一切無く、『アンソロジー』プロジェクトで、初めてビートルズ音源に再会したような書き方がなされている。まさに「抹殺」という言葉が相応しいように思える。

こうして『セッションズ』は幻に終わりました。
ポールの激怒が事態を一変させたのですが、その激怒の理由は一体何だったのでしょうか。その訳は、ビートルズ側に黙って勝手に作業を進めたことにあるのでしょう。これは1970年に、フィル・スペクターがアルバム『レット・イット・ビー』をプロデュースした際に、ポールの承諾無しに大掛かりなオーケストラとコーラスのアレンジを「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」に施した際に、ポールが激怒したことと相通ずるものがあるように思われます。サウソールは手法を取り違えたのです。

しかし、この一連の騒動により「ビートルズ未発表音源の見直し」という機運が、ビートルズ側に巻き起こったのも事実でした。1990年代に入ると、長く続いていたEMIとアップルの間で争われていた訴訟問題が解決し、凍結されていたアップルの資産も解除されたことで、ビートルズ側とEMI側が一気に雪解けムードとなり、まずは廃盤扱いにされていたアップル・アーティストの再リリースから始まり、いよいよビートルズ・アンソロジーへと繋がっていく流れが作られたのでした。
こうして見ると『セッションズ』から『アンソロジー』への流れは、全くの別物ではなく一連の流れとして見れば、ビートルズ、EMI双方にとってこの壮大なプロジェクトを完遂するためには、十数年に及ぶ年月が必要だったのが今にして判ります。
『ビートルズ・アンソロジー』という宝物を我々に与えてくれた幻の『セッションズ』に改めて思いを馳せつつ、謝意を捧げたいと思います。