ビートルズ、シングル盤私的雑感(その138)/『オー・ダーリン/ヒア・カムズ・ザ・サン』 (1) | John's BOOROCKSブログ-I Love The Beatles, Fender Guitars & Movies!

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今回も1960年代から70年代にかけて、世界中で数多くリリースされた各国独自のビートルズのシングルの話です。今回からは、1970年に日本で独自に企画されたシングル『Oh! Darling / Here Comes The Sun』の話です。



ビートルズも1969年となると、ただの『陽気な4人組』ではなく、それぞれが家庭を持つ様になり、バンドへの想いもすれ違ってくるようになりました。そんな中で、4人が最期の力を振り絞って取り組んだプロジェクトが、アルバム『アビイロード』でした。恐らく全員が、「これが最期となる」という意識を持って臨んだレコーディング・セッションだったことでしょう。

このアルバム製作を推進したのはポールでした。1969年1月の悲惨な『Let It Be』のセッションで落胆していたジョージ・マーティンは、もうビートルズとの仕事はしないと決めていた気配がありました。彼をもう一度ビートルズのレコーディング現場に引き戻したのは、ポールの説得によるものでした。ジョージ・マーティンがもう一度プロデュースを引き受けた条件は、メンバー全員が揃ってレコーディング・セッションに参加する事、という基本的なことだったのですが、逆に考えればそれほどまでにビートルズがグループとしては機能していなかったということの証だと思われます。

そんな中で、ポールは八面六臂の活躍をしていました。それぞれがグループとしての活動よりも自分自身のプロジェクトを重視し始める中、ポールだけがビートルズを維持するために涙ぐましい努力をしていたのです。この時期、ジョンはご承知の通り、ヨーコ・オノとのプロジェクトで手一杯でしたし、ジョージはビートルズで発散出来ない自身の音楽的な発信の場を、アップル・アーティスト達のプロデュース現場に見出している状況で、リンゴは常に多数決に従うという姿勢を貫いていたのです。

ポールが精神的に追い詰められている状況下、創作活動において創造性を失わなかったことに驚きを禁じ得ません。恐らくポールが全てを諦めていたなら、ビートルズは1969年初頭には空中分解していたことでしょう。そうなると、『アビイロード』は完成を見なかった事となり、ジョージ・ハリスンの名曲「Something」「Here Comes The Sun」がビートルズとしての楽曲ではなくなっており、ジョージへのその後の評価も変わっていたかもしれません。

前置きが大分長くなってしまいましたが、そんな中でこの「Oh! Darling」が作られました。ポールがこの曲を、ファッツ・ドミノなどのオールド・ロックンロール/ドゥワップのパロディとして作ったのは明らかですが、そのサウンドに関しては従来のどのビートルズの楽曲よりも現代的な響きを持っていました。その最大の理由は、ポールが機材の発達を十二分に認識し、その使い道を先取りしていたことによります。
その話はまた明日に。