部屋の片付けをして、物品寄付をしようとネット検索をすると前回、調べた時、たくさんのサイトが出てきてびっくりした。
天の導きかも、ありがとうございます。
そこで色々見ていて、びっくりしたのは、『児童養護施設にはクリスマスに物品寄付よりもお金の寄付の方が助かります』という元児童養護施設職員が立ち上げた寄付サイト。
詳しく見ていくと、実家暮らしの子供たちはクリスマスに親に欲しいと頼んだ理想のプレゼントが貰えてとても嬉しいけど、児童養護施設の子供たちは、欲しいと頼んだ理想のプレゼントが貰えなくて、元児童養護施設の職員は心傷んだから、こういう寄付サイトを立ち上げたと。
お金の寄付なら、子供たちが自分でクリスマスプレゼントを選んで買えるといったことも書いてあった。
クリスマスプレゼントという点のみに絞っていえば、実家暮らしの私は幼い頃クリスマスに親、祖父母が子供の私に対して、一生懸命、愛情をこもったプレゼントを用意してくれたことがとても嬉しかったから、何か物品寄付(プレゼント)より、お金が欲しいとサイトに書いてあって悲しい気持ちになった。
確かにプレゼントという物も嬉しいし、私は未だに、小学生の頃もらったクリスマスプレゼントを大事にしている。
大事なのは気持ちという気もする。
プレゼントの中には欲しいデザインの物もなかった時もあったけど、大事に使った。
心のこもったプレゼントだったからこそ、デザインが好みでなくても、大事に使ったように思える。
元児童養護施設の職員は、実家暮らしで小学生の頃、毎回、希望のクリスマスプレゼントを貰えてた人なのだろうか?
欲しいプレゼントより、人の優しさ、心のこもった思いやりを感じるプレゼントの方が嬉しくないのかなって思う。
ちゃんと記憶がないけど、普通の一般人がお金持ちになって一時的に成功するという漫画の最終的な展開でよく描かれるのは…
お金という見栄、名誉で良いと評価されると満たされた気持ちになってすごく嬉しい。
けど、あれ?よく周りを見るとお金をくれるから優しくするという人しかいなくなったりという状況で、結局悲しい、どうしてという感じで終わる。
最初にお金持ちにプレゼントに高価な物を買ってもらったと自慢されて、幸せは高価な物を手にすることだと勘違いしてしまう。
つまり金持ちになれば、幸せを掴めると。
でも、幸せって何かと。
心ではないか?
友達が『クリスマスプレゼントに良い物を買ってもらって幸せだ。いいでしょ?』とにこやかに言ってくる。
もし、自身が欲しいプレゼントでなかったとしても、『うん、いいね。でも私のもらったプレゼントもとてもお気に入りだよ。親(祖父母)が私の為に一生懸命考えて、心のこもったプレゼントをしてくれたから私にとっては幸せなんだ』というような返事ができることが大事じゃないか。
児童養護施設の子供より、私は実家暮らしで、祖父母と同居だったので、クリスマスプレゼント以外にも、不定期的なプレゼントを貰えたりした。
一目見て気に入ったデザインであっても、欲しいデザインでなくても長く愛用した。
でも、もちろん、実家暮らしの人よりは、児童養護施設の子供の方が不定期的なプレゼントはないだろう。
だけど、どうしてもこういう意見を書きたかった。
楽しく生きることがいい人生。
児童養護施設の元職員の気持ちも分かります。
色々考えるきっかけになりました。
サイトを作り、私に見させてくれてありがとうございます。