皆さまこんにちはSelenaです。

ブログへのご訪問ありがとうございます。

 

この年になってやっと親を許すための一歩が踏み出せました。



どうしてこんなに長く親を許せずに苦しんでいたかと言うと、

少し長くなるのですが、良かったら読んでくださいね。

 

小さな頃から家庭環境は決して良いとはいえず、

寂しい思いを心の中に抱えて過ごして来ました。

 

親に迷惑をかけるような子供ではなかったので、

小さな頃から、本当の気持ちをぐっと抑え込んできたのだと思います。

 

又、18歳の時には父親が浮気相手と一緒になると言って、

母、兄、私を捨てると言って出て行ってしまいました。

 

その時の、母の相手への嫉妬と、憎悪が何故か全部私に向けられてしまい、

 

それでも私は母を、可哀そうな母を、突き放すことが出来ずだまって側にいて、

その攻撃を受けていました。

 

兄は大学生で一人暮らしをしていたので、

家には私と母の二人きり。

 

私は私のどんな運命のも負けない!屈しない!と奥歯をかみしめ奮い立たせ、

耐えていましたが心はボロボロでしたから、

 

心の扉を閉めることで、無感動になり、どんな暴言にも何も感じないようになることで、

自分を守っていました。

 




辛かった母はとにかくこの状況から抜け出したくて、

一人どこかの旅館などで住み込みで働きに行きたかったようですが、

私と言う存在が足かせになり、行けない、自由になれない、と私の存在が母を追い詰めていたようで、

「アンタさえおらんかったらお母さんは今頃どこかの旅館の住み込みでも行けるのに。」

「あんたさえおらんかったら・・・・」「出て行け」

これを何年も言われ続けました。

 

まだ短大生でしたからね・・・

 

就職してからも出て行けと言われ続けて出て行くことも可能でしたが、

そうは言ってもいつも泣いている母を、やっぱり一人にはできなかったんです。




 

他にも酷いことをいっぱい言われたりされたりでしたが。

 

それから12年の月日が流れ私が結婚してからは、

随分、母も落ち着いていました。

 



私に子どもが出来てからは随分お世話になりました。

元々肝っ玉母ちゃん気質なので、

やっと本来の母に戻ってきました。

 



とは言え、私が母に私の気持ちの理解を求めようとしたりしても、

崖から突き落とすような、ワイルドな母なので、

 



あの頃から、自分の存在を否定され、

親のぬくもりを感じられない私の心は相変わらず冷えたままでした。

 

自分が子供を産んだことで余計に、

「どうしてこんなに大切な存在にそんなひどい事が出来たんだろう。

私なら子供にそんなこと絶対にしない。」と思い、

 

自分が母からどれほど酷いことをされてきたの分かってしまったことから、

別の苦しみが始まりました。

 

そうは言っても、父や母の前では和やかな子供を装い続けていましたが。

 

でも、インナーチャイルドが驚くほどボロボロだったんですね。

あっちこっち病気がちになりましたし。

 

そしてスピリチュアルな学びを深めていくと、自分の内側をしっかりと見つめ、

感じ、手放し、癒し、ハートを開いていく事が大切だとわかってきます。

 

できるだけ純粋なエネルギーとして存在したい、

純粋なエネルギーでのチャネリングをしたいと思うと、

 

それはどうしても乗り越えなければならない課題でした。

 

私にとって潜在意識の書き換え・・・やってもみましたが、

そんなものじゃない。

それはその場しのぎでしかありませんでした。

 

どんな子供でも母から与えられた傷はとても深く入り込み、

なかなか乗り越えられないほどの大きな課題になります。

簡単じゃないんです。

 

だからこそ、意味がある。

だからこそ、自分の魂がその課題を選んできたのですね。

 

 

そうは分かっていてもどうにも癒しようのないまま年月は流れ・・・

 

 

両親の残された寿命もきっとあまりないのに、この心のわだかまりを抱えたままは嫌だな。

心から両親を愛したいし、愛されていたと思いたい。

 

でもいつも靄がかかったようで、どこか遠くに父と母が居るようで。

私の心は冷えていて、ぽかぽか温かくない。

 

両親のどんな優しい言葉も心に響かないし、

何かしてくれても、

 

「どうせ、そんなの嘘だ。いざとなったらまた子供より自分を優先して、

平気で子供を犠牲にするくせに。」

なーんて、いじけた自分がデデーンと出て来るわけです。

 

 

でも先日やっと、父に電話で言えたんです。

 




先日何かの話の時に、父が、

「お母さんは愛情表現は下手でわかりにくいけれども、

本当に私の事を深い愛情であれこれしてくれているぞ。だからもう少し感謝を現わしたら・・・。」

みたいなことをやんわりと言われて、

 

もう死ぬまで言えないと思っていたけれど、

父に今なら言えると思って、

 

母からいじめられていたことや、

心からお父さんやお母さんに愛されていると思いたいのに、

靄がかかったようで思えない。寂しい。枯渇している。

ぬくもりを感じられない。

傷が深くて苦しいのに、調和したいのに、もう嫌なのにどうすることもできない。

 

ってわんわん泣きながら伝えたんです。

 



「全部お父さんが悪い、一番悪いのはお父さんや。」と言っていました。

ま、そうなんですよね。

だから、

「違うと言いたいけれど、その通りやわ」と、泣き笑いです。

 


そしてねその後、私の中で、「もしいつの日か、この気持ちを親に伝えれたらもう前に進める。」

って心のどこかで決めていたから、

 

まだ心はぐちゃぐちゃだったのですが、

 

そんな自分と決別する!終わらせる!もう掴まない!許す!もういい!手放す!

って決めたのです。掴まない、掴まないって。

 

一大決心です。

人生を変えたいから。

 

 

親のせいにしない。

私は私を生きる。

もう私は癒された。

それを選ぶ。

 

いじけていた、拗ねていた自分とさよならです。

 

 

そうはいっても、鼻息荒く決心しても、

なんか、ずっと泣いてるし・・・・

 

浄化だか何だか知らないけれどエネルギーが持って行かれる~

 

 

さあどうしたものか・・・

言霊パワーだと思い、「お父さんお母さんありがとうございます。」を繰り返してみたら、

あ、不思議、みぞおちにグッと力が入るようになりました。

 

でも、まだエネルギー的にぐちゃぐちゃです。

 

でもちょうど時間があり、阿弥陀如さまに会いに増上寺へ。

 



そうしたら、ちょうどお堂にお防さんたちが沢山いらっしゃって、

(慶讃会・御忌習礼。)

皆さんでお阿弥陀様のお経をあげられる音の響きがとても美しく、

 

ゆっくり歩いて回られたり、丸い紙?を、ひら~と皆さんで落とされる様がまるで蓮の花ビラが舞うようだったり、

 

凄く感動して、まるで極楽浄土のようで、

ああ、感謝。

 

 

もしもお葬式でここまでしてもらったら、

みんなこれは極楽浄土へいってしまうなぁ・・・なって思いながら過ごしていたら(笑)

 

いつの間にか、私の心の中がすっとしていて、エネルギーも整った感じ。

 

外に出ると景色が明る美しく見えて・・・

 

ああもう大丈夫。

 

 

そして、

私は阿弥陀様と一つになる。私は阿弥陀如来。私が阿弥陀様なら、どう見えるのか。」

 

そのように阿弥陀様の視点になりイメージすると、

 

私や両親。それらのずっと上の方から阿弥陀様が見守っていて、

阿弥陀様からは私の両親でさえも可愛い子供たち。

それを優しく包むように上の方から見守る大きな愛。

 



やっと、やっとです。

 

「ああ、そうか。阿弥陀様の視点。神の視点にたって物事をみるってこういう事だったんだ。

神の視点になると、許し愛せる。

わかってはいたけれど、頑なな心が邪魔をして行けなかった。自分の心次第だった。」と気付き、

 

やっと一つの山を越えられた。一段上がれた。

やっと一段高いところからみれるところまで来れた。

そんな感じがしました。

 

人生の大切な一歩になりました。

 

もう大丈夫!

 

と思ったのですが、徳川家康公が戦勝祈願をした黒本尊さまにもご挨拶に伺ったら、

 

「誓い。3,000円。ブレスレット頂ける。」が目に留まり(笑)

 

「私、本気で手放して生まれ変わる。

もう両親を恨まないと誓おう!」と思い書いてまいりました。

 

そのブレスレットを見るたびに、古い感情に引き戻されないで居られます。

 

(失敗したのを持って帰って来ました)




ちゃんと感情と向き合って、

癒したり手放したり苦しみながら、ここまで来るのに30年以上かかりました。

 

でも、やっと超えられたその先の景色は明るかった。

 

なにより、両親はまだ生きている。本当に感謝ですキラキラ

 


 

後は脳にインプットされた、

 

いつも私は親の犠牲にされる。これからもそうやって傷つけられる。

この書き換えです。

 

そして、母の愛情表現は私が求めるようなものではないのですが、

愛情がなかったわけでは無い。

 

母が荒れていた時は仕方なかったとしても、

 

私が頼ったら何度も崖から突き落としてみたり(笑)

(でも必ず助けの手も差し伸べるんだけど、)、

一人で強く生きて行け!とビシバシ鍛えてくれたことも母なりの愛情だと思うし、

 

でも私が窮地に陥った時は肝っ玉母ちゃんに何度も助けられたしアップ

 

でもやっぱり崖から突き落とすときもあるのだけれどあせる

 


それだけ、あれこれうるさい位に言ってくるのがもしも母なりの愛情なら、

 

もういらない。お腹いいっぱい。と言うくらい愛情をくれていたんだな。

と、思ったのです。

 

母のエゴだらけだけれど。

愛がいっぱいあった。

 

やっと一歩。

でもこの一歩は大きかった。かな・・・

 

親に対する頑なな心で居ることを辞めて、

素直に、阿弥陀様の視点で生きていきたい。

 

親に対する頑なな心で、自分をもいつの間にか縛り付けていたものから解き放たれ、

自然体で生きていきたい。

 

そう思います。

 




(大山阿夫利神社ケーブルカー乗り場)


長くなってしまいました。

最後まで有難うございましたお願いキラキラ

 

皆さまにとって素晴らしい毎日となりますようにピンクハート

 Selena

〜shine your heart〜

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