五七調と七五調

 五七調というのは、『万葉集』に代表されるような、「◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯◯」というリズム。五から始まり七で終わる調(リズム)だから五七調。
 七五調は『古今和歌集』以後のリズムで、現代においても通じる「◯◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯」というリズム。平安時代の和歌を我々がスッと読めるのは、この調が幼少の頃より染み付いているからだと考えられている。たぶん。
 歌舞伎など古典芸能なんかを見ていると大抵七五のリズムになっている。たとえば、歌舞伎『三人吉三巴白波』にある「月も朧に白魚の」という長台詞もまた、七五調である。我々もかなり馴染みのあるリズムで、野球の応援で言う「◯ ◯ ◯◯◯」のリズムもこれにあたる。試しに「タンタカタンタカ タンタンタン」と言いながら「◯ ◯ ◯◯◯」を叩いてみると、ピッタリになるはず。探してみると、そこらに溢れている。
 
 たとえば、童謡で有名な「うさぎとかめ」は
 
  もしもし亀よ 亀さんよ
  世界のうちに お前ほど
  あゆみののろい ものはない
 
と続く。これをもし、
 
  もしもし亀よ/亀さんよ世界のうちに/お前ほどあゆみののろい/ものはない
 
とすると訳がわからない。ということで、これは七五調。
こういったものは、現代の歌にも多少は言えること。
 
 石川さゆりの「天城越え」(1986)の歌詞は、
 
  隠しきれない 移り香が
  いつしかあなたに しみついた
  誰かにとられる くらいなら
  あなたを殺して いいですか
 
となっている。これをもし、
 
  隠しきれない/移り香がいつしかあなたに/しみついた誰かにとられる/くらいならあなたを殺して/いいですか
 
とするとやっぱり訳がわからない。ということでこれもまた、頭から最後まで七五調になっている。
石川さゆりは現代ではないという方へ、もう一つ例をあげよう。
 槇原敬之「どんなときも」(1991)は、
  
  僕の背中は 自分が
  思うより 正直かい
  誰かに 聞かなきゃ
  不安になって しまうよ
 
という感じで進んでいく。言葉だけ見れば七五調なんて嘘だが、歌いながら机をトントンしてみるとなんとなく7音と5音の構成なのがわかると思う。これも前後で切る場所を間違うと、意味が通じないため七五調であろう。ちょっと自信がない。
同じ時代のJUDY AND MARY「そばかす」(1996)も、
 
  大キライだった そばかすをちょっと
  ひとなでして ため息をひとつ
  ヘヴィー級の 恋は見事に
  角砂糖と 一緒に溶けた
 
と続いていく。これも机トントンで数えてみると、七七になる。五七調だの七五調だのは、元は和歌から来ている。和歌で七七と切れる句切れは三句切れ(「◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯ / ◯◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯◯」というやつ)で、七五調に入る。和歌に倣うと、「そばかす」もどうやら七五調らしい。セーフ
 例外が増えてきたように思うが、概ね七五調が生きていると言ってもいい。
 
 では、少し時代が進んで2000年代に入るとどうなるのだろうか。
Perfume「ポリリズム」(2007)を見てみると、
 
  とても 大事な
  キミの  想いは  
  無駄に ならない
  世界は 廻る
 
と始まる。歌ってみればなんとなく七七の七五調かなと思うが、これではわかりにくいので、サビを見てみよう。
 
  くり返す このポリリズム
  あの衝動は まるで恋だね
  くり返す いつかみたいな
  あの光景が 甦るの
 
というふうに繰り返す。これは、どうやら5音で始まり7音で終わる五七調ではなかろうか。ただ、「あの光景が」やサビ以外は七五調が混じっていたりするのだろうね。段々自信が無くなってきた。
 
 2000年代の音楽で大きな変化といえば、音声合成技術を用いたVOCALOID(通称ボカロ)楽曲(以下ボカロ曲)の登場が挙げられるのではなかろうか。筆者も一定のインターネット上で聴く機会もあったが、近年は幅広い場所で幅広い層にその人気を集めているというから驚きだ。ボカロの詳しい説明は、ヤマハの記事(藤本健「ボカロとはなにか?いまさら聞けない、ボーカロイドの基礎知識」ヤマハ『Web音楽人』2022.4.4)があったため、こちらを参照されたい。
 そのボカロ曲で最も有名な曲の一つとして挙げられるのは、黒うさp「千本桜」(2011)であろう。
この曲は、
 
  大胆不敵に ハイカラ革命
  磊々落々(らいらいらくらく) 反戦国家
  日の丸印の 二輪車転がし
  悪霊退散 ICBM
 
というやや物騒な歌詞であるが、リズムは七七と続いていく。
では、こちらのサビを見てみよう。
 
  千本桜 夜ニ紛レ
  君ノ声モ 届カナイヨ
  ここは宴 鋼の檻
  その断頭台で 見下ろして
 
というサビであるが、ここもやはり七五調である。この曲のコンセプトが、大正ロマン的な様子を窺わせるため、あえてそのような調である可能性も捨てきれない。もう一つ有名な例を挙げておく。
 現在は米津玄師として活動している彼も、元はボカロを使って曲を作るボカロPと呼ばれる者であり、ハチとして活動していた。彼が再びボカロ曲の制作をしないと断言できないが、現在の活動の中心はボカロではない。すなわち、ハチではなく、米津玄師として活動している以上、彼をボカロPと呼ぶか否かは非常に悩ましいところである。
そんなハチの有名な曲の一つに「マトリョシカ」(2010)がある。これを見てみよう。
 
  考えすぎの メッセージ
  誰に届くかも 知らないで
  きっと私は いつでもそう
  つぎはぎ狂った マトリョシカ
  
という歌詞から始まる。概ねこのまま進んでいくが、サビでは、
 
  あのねもっといっぱい 舞ってちょうだい
  カリンカマリンカ 弦を弾いて
  こんな感情 どうしようか
  ちょっと教えて くれないか
 
と、七七とあって最後に七五で着地するため、この曲も七五調と言えるだろう。
 
 では、ボカロから離れ、令和のヒットソングを見てみよう。2010年代後半が抜けているが、あの辺は大抵令和と変わらないような気がする(気がするだけ)のでまぁええやろという気持ち。正直飽きてきた。
 
 Ado「うっせぇわ」(2020)は、概ね七五調であると言える。
 
  ちっちゃな頃から 優等生
  気づいたら大人に なっていた
  ナイフの様な 思考回路
  持ち合わせる 訳もなく
 
と進んでいくこの曲は、途中で七七になったり、不規則になったりしているのかなぁ。なんて思うが、ちょっと音楽的なことはわかんない。
ともかく、基は七五調じゃないかなというのが仮定である。もう1つくらい例を見ておこう。
 YOASOBI「アイドル」はどこに行っても、嫌でも聞いたことのある曲だ。個人的には、バイト先で若干トラウマになりつつある。
この曲は、全体的によくわからない。どうやってリズムを取っているのかよくわからないが、サビは比較的易しいと思ったので、以下に挙げる。
  
  誰もが目を 奪われていく
  君は完璧で 究極のアイドル
  金輪際 現れない
  一番星の 生まれ変わり
 
というサビになっている。パッと見ても七七となっているのがわかる。
 
 ここにあげたものに限ると、おおよそ平成(1990年代)以降はサビや歌詞の始まりに七七を持ってくるタイプの七五調が誕生している。また、五七を混ぜたり、不規則なリズムを持ってくる新鮮さが見られる。もっと多くの例をあげ、検証すべきであると重々承知ではあるが、ぶっちゃけ超めんどくさいし、あまり音楽の趣味に合わず苦行になるだろうという想像ができるため、絶対にやらん。
 
 今まで2つずつ例を挙げたが、こういう場合は3つは例が欲しい。ベン図も2つの円じゃ成り立たない。
 こうして日本の曲ばかりあげたが、実は海外のものでも日本でヒットしたものは七五調なんじゃないかと推測した。たとえば、コレオグラファーとしてのバズビー・バークレーの代表作の一つ、1933年のミュージカル映画『FOOTLIGHT PARADE』の劇中歌「Shanghai Lil」も七五調っぽい感じがする。もうなんか七五調を言いすぎて何聞いてもそう聞こえるだけになっているのかもしれないが、曲が日本でヒットする理由の一つにこういう背景があったら面白いねくらいに留めておきたい。もしかしたら、海外共通のリズムなのかもしれない。
 そう、日本でも『鴛鴦歌合戦』(1939)という古いミュージカル映画があったが、この劇中歌はもろ七五調。なんだか夏祭りの気分になってしまうような、そんな感じがする。
 
 なんだかもうめんどくさくなってきたので、なんとなぁく、フワッと、たいていのヒットソングというのは七五調を基としているのかなぁ。それがなんだか平成半ばで崩れ、令和になるとなんだかごっちゃになってきているのかなぁ。その中でも、やはり無意識的に七五調を基としている部分はあり、『古今和歌集』以後我々日本人が一生懸命大事にしてきた七五調は脈々と受け継がれているのかなぁ。それでも、平成半ば以降の変化というのは、従来の調に新鮮さを求めた結果であると言え、古典〜昭和歌謡にまで続けられてきた純粋な七五調が変わった瞬間であったのかなぁ。その時代に生きた我々は、知らず知らずのうちに歴史の変わる瞬間を見ていた、聞いていたのかもしれない。
 たかが娯楽といえど、生活の奥底にまで染み込んでくる音楽、もっぱら流行の曲というのはどこか中毒性がある。その中毒性は、古来より受け継がれた七五調が生むものであった、というところで、今回は何を言っているのかわからなくなってきたため、終わる。眠い。