息子(中2)も娘(小3)も 個性強め。

これを【個性】と呼ぶか? 【障がい】と呼ぶか?

私が子育てをする中で困っていないので【個性】としている。


療育にも通わなかったし、発達障害の診断も受けてない。


発達障害について、早く診断を受けて 早い段階から療育を受けるなどの対策を取った方が良い!という考え方がある。

もちろん程度の差があるから一概には言えないけれど、早ければ早い程 誤診があるのでは? と思っている私。


診断を受けに行っていないので どのような基準で発達障害と言われるのかは知らない。

でも、判断基準として 本人や親や先生が決まっているかどうか?というのがあると聞いたことがある。

だとすると、やれること・やれないこと・苦手なことが同じような子がいても、環境が違えば困ったり困らなかったり…で 判断基準は曖昧なのでは???


実際、私は我が子のことで困ることはなかったけど(もちろん小さな困りごとは多々ある)、特に息子は『◯◯くんママ、大変そうだよね。私だったら、ちょっと難しいかも』って言ってくる知り合いママがいる程だった笑い泣き

幼稚園の時には、幼稚園経由で【ことばの教室】に1年間ほど通ったり、特性のある子たちが市内の公立幼稚園から10人ほど選ばれて(?)感覚統合の観点から見たちょっとした運動教室のようなものに半年間通ったりもした。


でもやっぱり、私も本人も『困っている』という自覚が無かった。

というのも、私たち夫婦・私たち親子には【ふつう】という感覚があまり無いからだと思う。

結局困りごとというのは、【ふつう】でいなければならない!【みんなと同じ】ようにできなければならない!という思いから生まれるのではないか?

その思いが強ければ強い程、困ったり悩んだり辛くなったりするのではないか?



発達障害の子どもが増えている、と聞く。

私が子どもの頃にも ちょっと変わった子はいた。でも、同じ教室で同じように過ごしていた。

あの頃と何が違うのか?

昔よりも今の方が【多様性】という言葉をよく聞く。にも関わらず、いわゆる【ふつう】から外れることを恐れ過ぎていないだろうか?

【ふつう】から外れることを親が心配し、【多様性】溢れる子ども達を見守れる寛大さが教師をはじめ大人達から欠落し…その結果として発達障害の子どもが増えているような気がする。

【多様性】を本当の意味で認め合い、障がいが有ろうと無かろうと、個性的な様々な特性があっても みんなが生きやすい社会になると良いな。