もともと楽観主義です。

細かいことは気にしない。

みんなと仲良く楽しくがモットーで

ややこしいことには関わらない。

揉め事苦手。

適度な距離が一番。

ややこしい事になれば、それにはサヨナラすればいい。

いらないものはすぐに、ポイ。






しかし、今回はなかなかややこしい事になってきて、久しぶりに悩んでる。


ため息なんてほとんどつかないのに、やたらと深いため息。







果たしてなぜこうなったのか?






離婚とか家族問題とかそういった話では、ないです。







とりあえず、いつもみたいに、はい。リセット!



とはいかなそう。











でもそこで考える。











いま直面してる問題には何かきっと意味がある。





転んでもただじゃ起き上がりません。







一つでも、二つでも、必ず自分のためになる、何かを掴んでやります。









今回のことで学べそうなこと。








しっかりと向き合うこと。






目をそらさないこと。






逃げないこと。







投げ出さないこと。







守ること。








大切にすること。









思いやりを忘れないこと。










それでも人を信じられること。










辛くても未来に光を見つけること。










大丈夫。








辛いときこそ、人にやさしくなれる気がする。






こういう状況になってるのは、きっと最近の私が周りを大切にしてこられてなかったから。






何かを誰かが気づかせてくれてる気がする。








ありがとう!




頑張る!!





必ず得るものは得てくるから!








転んでもただじゃ起き上がらんぞ!!




よっしゃーーー!
2014年も、あと7日。

今年は色んなことがあったなぁ。



3月27日、父のガンの再再発と、これが最後の治療と宣告された日、私の妊娠がわかった。

孫が生まれてくることが、父の生きる活力になる、このタイミングは奇跡なんだと信じたかった。





最後の治療の結果、腫瘍がほとんどなくなっている、効果があったということで、父は退院した。




腫瘍はなくなったはずなのに、父はよく転ぶようになり、手は動かなくなっていき、歩けなくなっていった。




本当に治ったの?




日々できることが少なくなっていく父を見ていて、本当に辛かった。


だけど、腫瘍は消えたから、きっと元に戻れるはずだと、信じて、明るく振舞っていた。





6月、父は自分で起き上がることも、食事を摂ることも、上手く喋ることも難しくなっていた。





ガン発覚当初からの担当医から告げられたのは、腫瘍はなくなったのではなく、小さく散らばっていただけだった、ということ。


もう長くはない、もって夏まで、と。



愕然とした。




どうして?なんで?嫌だよ。嘘だよね?


12月には赤ちゃんが生まれるんだよ?その時まで生きれないの?


どうして?どうして?






本当に辛かったけど、母と私はお互い、決して涙を見せまいと、ぐっとこらえていた。


父に悟られないように。




あと2ヶ月、父との思い出をたくさん作ろう。




それからは、私も実家に帰り、父との残されたわずかな時間を大切にしようと決めた。



車椅子を押して、ピクニックに行ったり、温泉に行ったり、父が好きな鰻を食べに行ったり、大好きなビールをいっぱい飲んだり…本当に楽しかった。








8月に入り、父の容態はますます悪化した。


完全に寝たきりになり、喋る事もほとんどできなくなっていた。


自宅での介護が難しくなったため、近所のケアハウスに入所した。8月15日だった。


8月17日、父の診察に同席するため、仕事を午後から休み、病院に駆けつけた。


車椅子に乗った父は、大きなイビキをかきながら寝ていた。最近は、一日中寝ているようになった。

イビキなんてかかなかったのに、ここ数日で、急に大音量のイビキをかくようになった。




父のガン発覚から、ずっと気にかけてくれていた看護師が、父のイビキをかく様子を見て、「多分、舌を支える力もなくなってきてるんだと思うよ。おそらく、一週間もないかもしれない。」



医師の診察でも同じようなことを言われた。



ケアハウスに戻り、父の容態と病院での診断結果を職員の方に話し、翌日、看護師と社会福祉士を交えて、今後のことを話し合うことに。



翌日の話合いで、病院の緩和ケア施設へ移ることに。





緩和ケア施設へ移動するとすぐに、父には酸素マスクがつけられた。



母と私は看護師にこれまでの経緯を告げた。





どうか、よろしくお願いします。





その日は、私は実家ではなく、自宅へ帰ることにした。



自宅に戻り、お風呂に入って、一息ついたその時、母から電話があった。




父の容態が悪化した。もう危ない状態だと。




呆然としたが、とりあえず、急いで車を走らせた。


病院まで1時間半。



どうか間に合って。






運転中、母からの電話が鳴った。








父が亡くなった、と。






視界が涙でぼやけた。




涙が止まらない。





お父さん、大好き。



病院に着き、父の元へ駆け寄ると、父は、眠ったように穏やかな顔で亡くなっていた。





8月19日、約1年半にわたる、父の闘病生活に幕が下りた。





その3ヶ月後、私は母になった。




毎日が怒涛のように過ぎていくし、初めての育児で不安がいっぱい。


だけど、お父さんが見守ってくれているから、大丈夫。



毎日を大切に。




2014年は生と死に直面した年。




濃い一年だったなぁ。






お父さん、大好きだよ。










この一週間、父の今後について、色々と話し合った。


完治の可能性は10%、現状と変わらない確率は80%、治療中に亡くなる可能性が10%


脳外科の担当医から紹介してもらった、血液内科医は、今回提案された最後の治療に対する確率を告げた。







・・・もうよかろう。





一緒に話を聞いていた父自身が呟いた。






そうだよね。










母は、脳外科医から告げられた、父の容態や現状を、父に正直に告げた。






余命のことだけは言わずに。








私が大学生のころ、何かの講演会で「まだ、家族が元気で、どこも悪くないときに、聞いておいた方がいいことがある。

それは、延命治療をするかどうか。


容態が悪化して、本人が答えられなかったり、ちゃんと判断できなくなってしまった後では遅い。

辛いのはあなたです。何もないときに、ちゃんと、本人の意思を聞いておいた方がいい」




そのあと、私は両親にその話をした。


そして、延命治療を望むか聞いてみた。

父はNO。母はYES。


夫婦でも考え方は違うんだなぁと思ったのを今でも覚えている。

父はそのとき言っていた。死ぬなら、早く死にたい、と。





だから、今回の父の返答は、今の症状に関係なく、父らしい、正直な答えなんだと思った。






母は、僅かな可能性があるなら、治療してほしいと言っていたが、以前、私が、2人に延命治療の話をしたときのことを言って、父の本心を尊重してあげるほうがいいのではと伝えると、母も納得してくれた。












ターミナルケア。





私も実家に帰ることにした。



実家から職場まで1時間30分くらいだから、通える範囲だ。




ただ、日中は両親だけなので、母は外出も難しくなる。




夜中は2時間おきに父がトイレのため起きるので、母はあまり眠れていない。




このままだと精神的にも体力的にも限界がきてしまう。





ただ、父は入院はしたくないと言った。





最期は家族と、母と一緒にいたい。





だから母は懸命に頑張ってる。






私もできることはやってるつもりだが、母には叶わない。











ホスピスってどうなんだろう。