おはようございます。
(今日は、書きたいことがあるので文字小さめで)

もう、大寒の入りですが、風邪など

引いていませんか?

本日、

関東は雪らしいですが・・・

 

話は変りますが

お子さんはいますか?

どちらでもいいんですが

 

もう大きくなっているとしたら

完全に自我があって、人格があって

一人前のの人間です

当たり前ですが・・・

 

で、そのお子さんが宿る前、あるいは

生まれる前、そのお子さんは

どこにいらしたのでしょうか?

素朴な疑問です

 

親は、子を産んだときの実質年齢分だけ

確実に子供より長生きしています

当たり前ですが

 

誰でも、記憶が存在する時点から、

つまり、23歳の幼少時から今まで

歴史の話を聞いても、自分が生きていた

時代のはなしは、ぴんときます

話も語れますし

 

でも、生まれる前の話は

親から聞かされたり

情報で聞かされたり

したとしても

 

あー、そうなんだ

ぐらいにしか

思えませんよね

 

たかだか、子供より

親のほうが平均30年くらい

歴史を知っているというだけで

人類始まって以来の年月からすれば

大した時間じゃありません

 

じゃあ、自分にも4人の子供が

いますが

当たり前の話ですが

結婚当時、子供たちの影も形もありません

当たり前です

 

普通に考えて

子供4人の人格は

全く違いますし

それぞれです。本当にそうです。

 

人格を親が形成したとは

これっぽっちも思っていませんし

思えません

手伝ったに過ぎないです

もともと子供の人格はあるものです

 

だったら、生まれる前は

どこにいたんだ?

という話ですよね

 

ながながと話しましたが

 

話は変わって

私たちの世代は

インフルエンザの集団予防接種が

ありまして、毎年、時期になると

全員で保健室に行って

接種しました

 

で、毎年同じ現象が起きます

と、いうのは

縦に出席順番で並んで

注射をうつのを待つわけですが、

毎回、ドキドキするわけです

 

で、何をするのかというと

終わって帰っていくやつに

「痛かったか?どうやった?」

と、聞くの

それも、毎年、毎年、決まって

 

聞いてもどうにもならない

と分かっていても

イヤだから、聞いてしまう

 

そして、いざ自分の番が来れば

ドキドキしながらも

やってしまえば

そんなもんんか

って、終わるんです

そんなもんです、ほんとに

 

でね、

わたし、思うんですよ

 

「死ぬ」

ということは

そういうことだろうと

 

いざ、そのときが

来て見れば

なんだ、こんなもんか

そういうことだったのか

と。

 

集団予防接種とおんなじだ

 

私たちは、普通に

「死」への恐怖は

並々ならぬものがあります

 

その理由の一つに

どうなるかわからないからです

不透明というか

 

でも、子供たちを

みていても

 

どこからか、来て

どこかに帰っていくのだな?

 

これだけは

確信をしています

 

もちろん、私もです

 

でも、生まれた瞬間

それを覚えていないから

わけもわからないところに

行く(戻る)のは怖いんですね

 

間違いなく、戻るんです

物質的には

分解されて、身体は無になって

土に返ってしまうわけですが

 

そうなってくると

問題の本質は

なぜ、死ぬのか?

ではなく

 

どう、生きるか?

 

人類始まって以来

永遠に肉体を持って

行き続けたひとは

誰一人、いません

 

どんなに長生きしても

せいぜい100年です

生まれたら、必ず死にます

間違いありません

どうもがいても

 

ひとは

治らない病気は

一生に、いちどだけ

あるそうです

 

それを

寿命

といいます

 

寿命が尽きる日を

誰も知りません

 

私も

あなたも

 

基本、

「明日」は

ないです

 

どういうことかというと

今日に対して

次の日を

「明日」と呼びます

 

明日、つまり

平成28119日になったら

120日を

明日と呼びます

次の日も、翌日を

明日と呼び

その次の日も

 

要するに

あるのは、今日だけ

なんですね

 

今だけなんです

 

今日一日を

大切に

 

という、おちではないです

好きなことをして

楽しめ、という話でもないです

 

あなたは

明日、死ぬかもしれない

という、

生き方をしていますか?

 

それが、スキーバスで亡くなった

14人の若者への

供養になるかな、

と思いました