おはようございます。

2日前に能登半島の

被災地・珠洲市に

初めて行って参りました。

 

途中、能登里山街道を

通るのですが

羽咋柳田(はくいやないだ)ICを

過ぎてからは

 

片側車線で、尚且つ

でこぼこ

能登方面行きだけが

通行可能で

帰路は七尾まで下道でした

 

穴水からは、左へ行けば

輪島方面

真っ直ぐは珠洲方面

右は宇出津(うしつ)方面と

震災前までは利便性が

良かったですが

珠洲までの道の駅では

トイレが仮設で

バケツの水を

自身で流しました

 

ぶっちゃけ

液状化の道路は

我が家(かほく市)の近所でも

あって、驚きはしないですが

やはり

家屋の倒壊が続くと

正直、見るのが

辛かったです

Tさん

60代の女性で介護職を

しているそうです。

息子さんは40歳くらい

2人暮らしで

私は、震災前から

知っています

 

地震が起きた1月1日16時頃

お母さんは介護の職場に

勤務中だったそうです

息子さんは自宅で

家屋の倒壊にあって

 

2階建ての家で

居たのは1階。

倒壊したが

隙間があって

玄関に向かって

出ようとした

だけど、出れない

 

近所の方々が

外から、隙間に腕を

伸ばして、上半身を

引きずり出して

助けてくれたそうです

 

その場所は

津波が来なかったらしく

命拾いをした

と、教えてくれました

 

倒壊の影響と

津波の影響は

建物を見れば

分かります

 

Tさん親子は

実は、避難所に居ました

まだ、17世帯くらい

居るそうです

 

困ったことは?

 

1ヶ月くらいは

共同生活なので

全員、我慢していたそうです

 

ですが、長期戦になると

我慢の限界が来て

それぞれ、わがままが

出るそうです

(当り前)

 

畳一畳の個人の空間は

横が段ボールで

仕切られており

プライべーと空間として

守られる

 

だけど、天井は

体育館なので

全員共有

 

朝、4時くらいに

照明を付ける

お年寄りがいて

睡眠不足だと

息子さんは言ってました

 

小学校の体育館だから

卒業式、入学式を

避難者みんなで

お祝いしたそうです

子供達が、日中そばに

居ることで

元気をもらえる

と仰ってました

 

で、聞きたいことは

一つですよね

 

5ヶ月も経って

仮設住宅は

どうなっているんですか?

 

「未定なんですよ」

ほんとのことです

 

私有地で

使ってない土地を

仮設に使ってください

と、市に申し出て下さる方も

いるとか

 

でも、噂では

固定資産税が入らなくなるから

公地で進める、と

市長が言ってるとか

 

と、仰っていました

 

倒壊した自宅には

入れず、着の身着のまま

避難したので

季節が変わると

洋服とか必要になる

 

でも、心情的に

お世話になっているのに

更に、とか言う気持ちは

正直あるそうです

基点の地域医療機関は

市立総合病院だそうで

職員は、有に20人は退職。

 

一瞬、引退し封印した透析の技術を

使えないかと私は

病院人事部に

電話しましたよ

 

考えてみれば

公務員だし

年予算で病院経営してるから

ボランティアでするなら別だけど

臨時採用なんか

するわけない、って

返事は決ってました

 

現場に行くと

気持ちが高ぶってしまいますね

 

さて、恋路海岸って

観光スポットがあって

そこに、見附島(軍艦島)があるんですけど

崩れてしまって

悲しいですね

不自由な生活を強いられている

皆様が

少しでも改善しますように

お祈り申し上げます