会話の途中で

意図せず、

自分だけではなく

お互いの目が真っ赤になる

ことはないですか?

 

先日、1週間に二度も。

それも

同じ話で。

 

話し相手は別です。

 

話しながら、我慢できずに

うっときてしまい

泣く姿を相手に

見られるのが恥ずかしい

と思う前に同時進行で

涙腺が緩み

しかも抑制が効かない

 

涙をこらえるのが

やっと

 

これをずっと続けると

滝のように・・・

 

ことがありました

 

「ニュースで見たやろ?」

「あの、警察官の旦那さん、

奥さんと、子供さん3人を

亡くされた、若い方

きれいな奥さん、それに

可愛い子供3人も

一度に亡くしてしまって」

 

たった、これだけの会話です。

 

でも、

お互いに

涙が出てきた

 

以前も話したことがあるが

東日本大震災からしばらくして

NHKのドキュメンタリー番組があって

「天国への公衆電話」?

ってありました

勿論、電話線は繋がっていません

 

今回と、同じように

奥さんとお子さんを亡くされた

若いご主人が

天国の家族に

電話していました

 

家族、一人ひとり名前を呼ぶ

 

○○元気か?

○○元気か?

○○元気か?

どうしてる?

 

「俺は、生きるのがつらい」

 

「なんで、俺だけ

生き残ったんやろ」

 

 

 

詳細は覚えていませんが

こんな内容だったことを

記憶しています

 

当事者の気持ちは

分かると言えば

それは、うそです

 

出来るだけ近い気持ちに

なるとしたら

 

例えが貧弱で

本当に申し訳ないです

ですが、話すとしたら

 

私に、思えるとしたら

こういう設定でしか

わかりません

 

 

 

 

不運の中で

自分だけ助かる

 

でも、条件が違います

 

高速道路を走行中

トンネル内で事故に

巻き込まれたとします

 

あっという間に

ガソリンエンジンから

炎が噴き出して

 

幸いに、私はぶつかっていない

でも、Uターンもできない

ハザードランプを

つけたまま

 

私の車の2台前で

どうしようと思っている間に

火が迫ってくる

 

幸い、トンネルの長さは500m

車はどうなるかわからないけど

エンジンを切って

大切な仕事の書類カバンだけ

もって歩いて引き返す

ことしかできない

 

やっとの思いで

トンネルから出た、出れた

新鮮な空気を

こんなに有り難いなんて

思ったことは

ない

 

ふと気が付くと

事故の車は

何人乗っていたのだろう?

みんな逃げたのだろうか?

 

後から分かったことだが

死者が出たらしい

 

まさに

九死に一生得た

 

自分は、仕事中の

運転で一人だけだった

 

申し訳ないが

あー

助かった

危なかった

やばかった

間一髪だった

 

と思うのだろうと

いや、きっと思う

 

亡くなった人に

申し訳ない気持ちはあるけど

それよりも

助かった幸運を喜んでしまう

 

自分がラッキーだと

思ってしまう

 

それは

いけないことなのか?

人間の性?

 

でも、これが

家族がみんな

巻き込まれて

いのちを、落としたとしたら

 

そして

自分だけが助かったら

 

助かったことを

幸運だとか

喜ぶとか

 

思えない

 

誰のせいにも

できないから

 

精一杯

できるだけ

 

自分を

責める

 

もっと、何かできたのではないか?

 

助けれたのではないか?

 

あのとき、俺は一体

何をしていたのか?

 

そもそも、出かけようといったのは

俺だった

 

自分のせいだ

何もできなかった

 

なんで俺だけ

生きてるんだ?

いっそ、あのとき

一緒に

 

 

あふれる

って、何なんだろう?

 

たぶん、

自分の

立場に置き換えて

泣いている?

そうなのかな?

 

 

 

のではないと

思います

 

 

相手の

立場で

泣いている。

 

考えなくても

涙が出るんだから

 

 

こころ

は響く

 

こころ

は小細工しない

 

あふれる

こころは

無条件です